閣下は震災を天罰だと言われた

人は幸せな時は幸せに気づかず、不幸な時になって初めて、かつて幸せであった事を気付く (ヘルマン)

不況が訪れ、政権が変わり、震災が訪れた。
これらを「出来事」としてただ起きた事だと受け取るのは簡単だ。
しかし、これらに意味があると仮定するとどうだろうか?
a munkは今まで幸せも不幸せも味わってきた。
不幸せな時に、「あぁ、自分は不幸だ」などと感じるのは簡単だし、最初の頃はそうしてきた。しかし今では不幸せな時、それが自分にとってどういう「意味」があるのか考えるようになった。そうする事で自らへの戒めになり、そして将来いずれまた訪れるであろう不幸への対策になる。
石原閣下は震災を天罰だと言われた。
これは彼がキリスト教関係の団体から政治献金を頂いている事に由来するが、彼もまた信心深いキリスト教徒である事からもくるセリフでもあったのだろう。神だの幽霊だの、そういった存在するかしないかわからないもので今の日本に起きた様々な厄災を受け止めてしまうのは失敗だ。案の定、その言語は不謹慎として受け止められた。
「今回の地震は自然現象なのだからしょうがない」
この言葉は誰が言うのだろうか?
自然現象だからしょうがないのなら、最初から津波を防ぐための堤防なんぞ作らないほうがいい。雨が降るのも雪が降るのも、夏が熱いのも冬が寒いのも自然現象だからしょうがないのなら、それらに対抗する手段なんぞ最初から捨ててしまえばいい。
それでも人は抗って(あらがって)きた。
しょうがなくはないのだ。
この言葉はそれぞれの厄災が何かしらの警告という意味を持っていたとして、それに対して自分が行ってきた過ちを振り返らない人間が放つものだ。
「自然現象だからしょうがない。想定外だ。だから原発のメンテナンスが手抜きでもしかたないことなのだ。だって想定外なのだから」
そう、問題のすり替えである。
原発のメンテナンスをしていなかった事と、震災の対策が間に合ってなかったのは話が別。もし今回震災が起きなかったら東京電力がメンテナンスをサボっていた事で何かが起きたわけでもない。だから彼らは言うのだ。
「震災が起きなかったらメンテナンスをサボっていた事も露呈することは無かった。普段はちょっと小さい地震や小さい津波が起きただけで全然大丈夫なのに、今回の奴はメンテナンスをサボっていた事が露呈するぐらいの想定外の震災だった」
これだけじゃない。
震災で民主の無能さが露呈した。
無能さが露呈すると、一体こいつらはなんなんだと人々は注目する。この無能な集団は何なんだ?何を考えている?何を隠している?何をしてきたのか?そして調べる。一つの欠点が露呈すると、次から次へとアラ探しが始まる。結局国民は騙されていた。民主党に騙されていた。マスコミに騙されていた。
原発にしてもそうだ。
もう隠しようがない。原発が爆発した映像が世界中に流れ、さすがにバカな連中でも世界中に公開されてしまった映像を消して回るような事を考える奴はいない。
そして人々は注目する。この東電って奴らはなんだ?どれぐらいに腐った連中なのか?今まで何をしてきた?(案の定何もしてこなかったわけだが)裏の繋がりはどうなってる?自民や民主の天下り先になっているのか?原子力安全神話は嘘だったのか?国民は騙されていたのか?今までも色々な事故が起きていたはずだ!調べてみるとやっぱり事故が起きていた。しかもそれぞれの電力会社が今必死に過去の事故の記録をサイトから消して回っている。
原発がこうならなければ露呈する事のなかった事実。
法的な手続きに伴って人が人の悪事に対して、抑止の意味を込めて行うものを「罰」というのなら、悪事を隠して甘い蜜を吸ってきた者達をある時突然、不幸が襲う。これを「天罰」と言ってもいいのではないだろうか?
そう、天罰が下された。
今まで甘い蜜を吸ってきたクソどもに。
今我々がするべきことは何か?
「しょうがない」で終わらせない事だ。
未来永劫、震災という名の「踏み絵」に引っ掛かったクソどもを忘れず、耐えぬ迫害を続ける。子の代、孫の代…日本が存在する限りずっと。この日本にはかつて、原発の利権で甘い蜜を吸っていた人間がいる事を。日本を中国や韓国に売り渡そうとした党があったことを。