判り易さ

仕事をやるとなると必ず人とのやりとりが付き纏うが、意外とコレが難しいと痛感する。何より馬鹿に出来ないぐらい真面目な話、重要な事なのだ。むしろ仕事=人とのやりとりとも思えるシーンがある。
今日はとある資料を作成したのだが、最初は適当にMSゴシックで文書を書き、そのまんま上司に提出。勿論説明する為の絵やらグラフやらは無い。
結果はダメ。ワケわかめ、と言われた。
次は試しに重要な部分をMSゴシック、補足をMS明朝にした。
忙しい人なので、その文書はフォントが変わっただけという事に気付かなかったらしいが、結果はOKだった。判る判らないがフォントの違いだったのだ。文章を書くのだから判り易い文章を書けば判って貰える、という定義は完全に崩れ去った。
いやむしろ最初から勘違いをしているのだ。判り易い文章を書くのではなく、相手に判って貰う事が重要であり、判り易い文章を書く事はその手段の一つに過ぎない。極端な話、派手なボディパフォーマンスをして説明しても判って貰えれば問題なしなのだ。
最後に、派手なボディパフォーマンスはしないにしても、派手に絵柄などで説明しまくった資料を提出。そしてそれを見た上司は一言、
「おい、俺をナメてんのか?こんなに説明しなくても判る」
「!!!!テメェがワカンネーッっつぅからご丁寧に絵柄まで付けたんだろうがこのチン○ス野郎が!その節穴の目ン玉ヒン剥いて死ぬまで焼き付けておけ!!!!クソガァァァ!」
と心の中で思いました。