人生の楽しみ方を知らない人の末路

会社から家に帰るまでのやる事が思い浮かばない、家に帰ってからのやる事が思い浮かばない、休日の過ごし方が分からない…つまり自分のプライベート時間の過ごし方を自分で決める事が出来ない人、そういう人達が最後はどういう結末を迎えるのか余計なお世話ながらも推測してみました。
また「自分はそんな事ないよー!」と事実を否定される方もいらっしゃるので、どういう人が「自分のプライベート時間の過ごし方を自分で決める事が出来ていないのか」も分かるように、年齢を追って人生を振り返ってみましょう。

10歳〜15歳

動物が一人の人間としての自覚をし始めるこの時期…まだまだ子供だと思われガチだけど、実はこの時期に既に人生の楽しみ方を持つのか持たないのかが分かれてしまう。
今回は人生の楽しみ方を持たない人々の行動を追う。
教師や友達、先輩などに勧められるがままに部活をする。特に何が好きとか、何が目的だとか、そういうものはなくて、ただ流されるままに部活をして学校外の時間を潰す。休日もそうだ。ただ、友達と一緒にいるのが楽しいから…理由を挙げるとするならそんなものだ。
部活が休みの日には友達や先輩、ひょっとしたら恋人と時間を潰す。それは家でゲームをしたり、街に映画を見に行ったり、遊園地にデートしに行ったりかも知れない。ただ、どこへ行くにしても理由があるわけじゃない、ただ時間を潰す、いや、理由を挙げるとするのなら、一緒にいるのが楽しいから。いわゆるリア充という定義であろう。
そして受験が近付くとプライベートな時間は勉強をする時間へと置き換えられて行く。
時折、息抜きに漫画を読んだり、友達や恋人と電話で話をしたりする程度だ。

16歳〜20歳

相変わらず生活は、部活と勉強と、そして友達や恋人との時間を潰す事が延々繰り返される。
将来の目標を決めるという話がこのあたりからちらほら現れ始める。トリガーは教師や両親だ。だが特に何をやりたいというのもなし。
そんな自分の周りでは時折、何かの目標に向かってコツコツ何かをやってる人が現れ始めるが、そういう者を見て何を思うかと言えば、『オタク』『何を必死に頑張ってるんだか…』と貶すのみ。
中には卒業後に就職したり、職業専門学校へと向かう者もいる。だが自分は何をするかと言えば、特に何か特定の職につきたいと思うわけでもなく、ただ周囲に『大学を出ておくと就職に有利』と流されて大学受験の勉強をしている。

21歳〜25歳

勉学はすすんでやるものでもなし、ただ、単位を取って大学を卒業するだけのものとなり、部活をしていた時間はバイトへと費やす事になるだけ。少ないプライベート時間は相変わらず何かするわけでもない、ただ友達と話して恋人とデートして、それからセックスなども少々。
大学卒業後に就職するも、何か目的があるわけでもないのに「御社の社会への取り組みに興味を持ち」だとか適当なマニュアル通りの回答を暗記して面接にのぞみ、そして入社してるもんだから、ただただ先輩や上司に文句を言われながら面白くも無い仕事を淡々と続ける日々が訪れる。
家に帰るまでは、先輩や上司と呑みによったり、それが無い日はパチンコなどをしたり、ビデオを借りて観たり、相変わらず時間を潰す為の時間というものが存在していく。
友達とは仕事の都合で疎遠になりはじめて、休日に何をするかと言えば、相変わらずパチンコとレンタルビデオが主役だ。寂しい、つまらない…ふと結婚の2文字が頭に思い浮かぶ。何か目的があるわけでもない、ただ暇、ただ寂しい、そして上司や先輩も結婚を勧めている。

26歳〜30歳

時が経つのを早く感じる。
気がつけば三十路もそろそろ。
休日出勤もするようになり、気がつけば接待ゴルフなどにも顔を出し始める。つまり、食べる時間と寝る時間以外は大体会社の為の時間になりつつある。僅かにあるプライベートな時間に何をするかといえば、予定が友達と会うわけでもなく、この年齢で『友達』などと言うのも恥ずかしくもなり、相変わらずパチンコ屋とレンタルビデオ屋を行き来する。
時折見かける家族連れが視野に入る都度「そろそろ結婚か」と、まるで時期になれば誰かと結婚するロボットみたいに、考え始める。
そして晴れて結婚…大学生時代の恋人と?いやいや、彼女とは大学卒業後疎遠になっている。社内結婚だ。やはり、遠い恋人よりも近いOL。ありふれた結婚式とハネムーン。これで自分も先輩や上司達の仲間入り…ただ、先輩や上司が気になる台詞を言うことを除いては。
「お前もこれで、俺達の苦労が分かるようになれるか」

31歳〜40歳

矢の様に過ぎ行く日々。
会社では年齢的にも主戦力となり始め、昇進なども視野に入りながらもいよいよ頭角を現し始める自分。忙しいが毎日は楽しい。はたから見れば「家と会社の往復」とも言われるが。生きている事を実感している…ただ一つ、気になる事を除いては。
結婚1週間ぐらいで、妻の性格は変貌した。いや、変貌したというよりも本来の性格が表面に現れ始めただけかも知れない。
口を開けば愚痴ばかり。喧嘩をするか、無視するかのどっちか。
結果的に、家でのプライベートは完全に無くなっていた。休日はルールがあるわけでもないのに、妻とどこかへ行かないとならない。学生時代のデートとは違って、ギスギスした嫌な時間だ。
気がつけば休日に会社に行っている自分がいる。
家にいるのが辛いのだ。

41歳〜60歳

相変わらず家の会社の往復。
会社では仕事の鬼と呼ばれた自分がいる。
昇進して管理職になると上司と部下の板ばさみに。家でも居場所が無いのに、会社でも居場所が無くなる。それでも妻の為、子供の為と自分に言い聞かせて己の身体にムチ打ち働く。
だが家では邪魔者扱い。あまり家に居ない父に子供は違和感を覚え始める。そして、子供にとっては表面上は父親、心の奥深くでは他人という定義になる。妻とは喧嘩のときぐらいしかまともに会話をしなくなる。その妻の作る料理はどこにでもある味。いや、味なんてものがあると思うのは幻想だったのかも知れない。味っていうのは普通の生活の中に初めて感じれるものだ。今食べているものはパサパサとした、砂の様なものだった。栄養剤に味がないのと同じで、ただ食べる事だけしなければならないと、脳が言っているだけ。
会社の飲み会の帰り、終電を待つ自分は、ホームで冷たい風に肩をすくめながら考える。
「俺って何をしたかったんだろう」
思えば人生で一度たりとも、何かをしたかった自分は居なかった。その場その場で流されるままに何かをしてきた。まるで呼吸するのと同じ様に、無意識に流されていただけだった。何が悪いというわけじゃない、世間一般で言うのなら当たり前の生き方だ。だが…。

60歳。

定年退職。
貯めた貯金で妻と老後を。それはテレビドラマの世界だけの話。
妻は離婚を迫っている。
「あなたと居たのは子供がいたからよ。子供たちは自立したんだから、もう終わりにしましょ。何年も嫌だったのよ、あなたといるのが。家にあなたがいるだけで吐き気がするわ」
そうか、俺は邪魔者だったんだな。
ただ働いて金を稼いでいたから、それが唯一の自分の価値だった。
そういえば最近、物忘れが酷い。歳をとったからか、と自分を納得させるが、自分の親はこの年齢では物忘れなどは殆どなかった。いや、それだけじゃない。深夜に外を徘徊したりする事もなかったし、自分の子供に向かって「誰?」などと思うことだって無かった。
死のうかとも思わない。それすら考えられなくなった。
何も考えれない、何も感じない、何も覚えれない…。
だめだ、脳が…機能しない。

最後に

人生の楽しみ方を知らない人の寿命=60年。
お疲れ様でした!
さて、次回は人生の楽しみ方を知ってる人の末路です。