泣く子には餅をやるな

東名高速バスジャックの犯人14歳(男)の優等生報道から暫くたって、次から次へと化けの皮が剥がれる事実が解ってきている。
男は酷く暴力的でなんでも好きな女をストーキングしていた事を父親にとやかく言われて腹が立ち、今回の犯行に至ったという。バスジャックという反社会的な事をしてしまうカオスな神経うんぬんという話よりも、まず自己中な人間だったというのがオイラの感想だ。
もし好きな女がいてストーキングでもしたが、相手が嫌がったので引き下がったのなら…そういう人間なら今回の事はなかったのかもしれない。だから、仮にバスジャックという行為をしなかったとしても、いつしか何かしらの問題は起こしていたのだ。
自己中な人間はいくらでもいる。オイラの身近な人にも居る、それに沢山そういう輩と出会ってきた。彼ら彼女らに共通して言えるのは、自分の感情をコントロール出来ない事だ。それって"大人"じゃないって事では?って言うかもしれない。だが待って欲しい。まだ大人じゃないから…という言い方で彼らの罪を軽くしないで欲しい。子供の図体で子供の考えならOKなのか?答えはNOだ。どんな場合においても人間という動物に生まれたからには、自己中な…子供な考えは許されないのだ。
理性とは欲求をコントロールする事にある。
湧き上がる欲求に蓋をする事でもなく、欲求そのものを無くすことでもない。人は考える動物だ。考えて考え抜いて、自らの欲求と対峙する。そしてその欲求を別の方向へと変換する答えを導き出すのだ。
そんな高度な事が出来るはずがない?だって人間も動物なんだからさ?オイラが小学校の時に学校の先生が「先生だって動物なんだから、怒ったり笑ったりするさ」って言ってたのを思い出したよ。そいつのクラスで苛められてた奴が居たけど、先生に相談したら先生も一緒になって苛めてたっけ。
少しでもそんな考えを持ってるなら、今すぐパソコンの電源を静かに切って、どこか安定した場所から紐を垂らし、そこに首を引っ掛けて後は重力に任せてぶらんと垂れ下がるといい。肩こりが治るよ。
そういうカスどもを排出している理由として挙げられているのは馬鹿親の躾のなさ。親が悪いというのならその親を子として持つ親にも責任があって、さらにその親…まぁとにかく、躾の仕方が悪い。じゃあどうすれば躾になるのか。
どこの国のことわざだったか忘れたけど、「泣く子は餅がもう一つ貰える」だったか「泣く子には餅をもう一つあげろ」だったか、そういう、わがまま言う奴を黙らせることわざがある。これって"大人の社会"でも聞くよね?一部の団体がさ、国とか県・市などを相手取って金を要求するじゃん。つまり人は堕ちるとそんな動物なわけで、それが理性が無くなった人間の末路。もっと簡単に言うなら、赤ちゃんがある時、泣く事で親に要求するじゃん。もう理論的じゃない。感情だけで行動している事が"正しい"とされている、だからズレていく。
泣く子には餅を与えるな。
餅が欲しけりゃ「餅が欲しいです」と言わせろ!
「餅が欲しい」じゃない。「餅が欲しいです」だ!
それが出来るようになったら今度はその理由を言わせろ。「腹が減りまして、死にそうなのです。餅が欲しいのです。お母様」これだ!
そして最後に「お前さ、なんでも言えば貰えるとでも思ってるの?自分で稼いだ金でなんとかしろよ。何?文句あんの?アチシが世の中の道理って奴を教えてやんよ?」と言ってやせ細った懐にブローをかませ!
躾とはなにか?
躾とは、湧き上がる欲求をコントロールするすべを教える事である。