10年通い続けた店が無くなった

その日は盆休みだったが普段の日曜と同じ感覚で、寂れた街の定食屋へ行く。
殆どの店がシャッターを下ろしているのは見慣れた。その中で馴染みの店も同じ様にシャッターを下ろしていた。「やれやれ、今日は盆休みで閉店中か」と思い、店の前にはれれた張り紙を見る。
「長い間、ご愛顧ありがとう御座いました。○月○日をもちまして…」
田舎の寂れた街だ。普段からそんな張り紙はよく見る。テレビでもシャッターが下りた地元の街を映すたびに「寂しくなってるねぇ…」と疲れたように家族と話した事もあった。…けれども馴染みの店がそんな事になると、まるで心にぽっかりと穴が空いたような、身体の一部がなくなったような、そんな寂しい気持ちになる。
思えば学生の頃から10年以上も通い続けた店だった。
毎回同じメニューを注文するので「よく飽きないね」と友達に言われた事もあった。自分でもどうして飽きないのか不思議だった。鶏モモ肉を醤油ベースのだしで煮込んで生姜が少しきいた料理。家で同じ味が出せないかと苦労したけど、結局、最後には別の料理になってしまう。どこの和食の料理本にも載っているレシピなのに、同じものは造れない。
本当に美味しい料理は何度食べても飽きないものだと思った。
閉店になるのが解っているのなら、閉店間際の1ヶ月は毎日のように通い続けようと思ったのに、もう一生味わえないあの味を、もう食べたくないって思いたくなるほどに食べ続けようと思ったのに、ひっそりとシャッターを下ろしてしまった。
この夏に閉店する事は決まっていたのだろうか。ほんの2週間前にはまるで家でメシでも食うように当たり前に定食をついばんでいた。あの時も「このお客さんともお別れか」と店主は思いながらも「ありがとうございました!」と普段と変わらない挨拶をしてくれていたのか…。別れの時を一方だけが知っているのはズルイと思った。
今日もどこかで店が永遠にシャッターを降ろす。ただその行為だけなのだが、それが沢山の人の思いを傷つけてそして永遠に思い出の中に押し込めていくものだと思う。街が寂れていくのは人の心が傷ついていく事なんじゃないかと思う。
国道沿いには今でもファミレスが並ぶ。それこそ1km間隔に。どこにでもあるチェーン店ははっきし言って1件潰れようが関係ない。代わりがいくらでもいる。それにあまり美味しくない。そんな店に個人営業店が潰されていくのが悔しい。