コイツ使えね−−−ッ!

5月ぐらいから新人が数人入社して、教育期間過ぎて実際に仕事をしてもらっている12月。そろそろ猫かぶってる部分が剥がれて来て個性が出始めてきた。使える奴と使えない奴が出始めてきたのもこの時期だった。
就職氷河期の世代、また、ニートが多くいる世代の人間が"使えない"だとか言われている理由が自分にも少しずつ解り始めてきた。(実際、その世代以降も使えないんだけど、数が少ないので目立たないだけ)
特徴を挙げるので自分が該当するのなら直したほうがいい。

  • プライドだけはある

「プライドだけでは飯は食えない」などと何処かのお偉いさんも言っていたけど、a munk的にその言葉は修正させて頂こう。「プライドはクソの価値すらない」
過去、色々な人間がプライドを原動力として動いていたのを見たが、どれも性格が非常に歪んでおり、社会人としてどうこうするわけでなく、人間としてどうなの?って奴がいっぱいいた。本当に頑張っている人は他人と自分を比較したりしない。その行為自体を楽しみ、仮に比較したとしても、過去の自分との比較だ。後述にも出てくるけど、プライドを気にする人間は様々な部分で問題が出てくる。

  • すぐできない理由を探す

トラブルがあって調査して欲しい、と新人君に言った事があった。その時の彼の台詞が頭に残って放れない。
「すいません、自分、あまり詳しくないので…」
わかっとるわ!ボケ!
最初から詳しい奴なんていない。だから時間掛けてもいいから(急ぐのなら他の人にやらせる)勉強しろって言ってる。状況も全部踏まえて「調査しろ」って言ってるのに…。
その背景にあるのは「面倒臭い」って事と「安全牌な仕事をしたい」ってのがある。面倒臭いっていうのならあまり腹は立たない。一番腹立つのは「安全牌な仕事をしたい」って考えてるクソ野郎だ。仕事をしていくってのは勉強していくのと同じ意味。だから解らない仕事をしていく事になる。安全牌な仕事は勉強していく立場からは殆どありえない。つまり会社に来て仕事はしないのに給料が欲しいって言ってることと同じ。
あと、出来ない理由を探す奴に限って研修だとか勉強会を開いて欲しいだとか言う。やってやれば出来るのかと、勉強会を開いた事があったが変わりなし。「勉強会を開いてもらっても出来ないみたいです」ときたもんだ。
つまり、自分には出来ないって証拠を固めただけなのだ。
ここまで腐ると呆れてものも言えない。

  • 外ツラだけはいい

社交的だとでも言えばいいのか。社交的って言葉は仕事も出来るが付き合いもいいって意味かと思ってたけど。使えない奴は大体は同僚や上司と呑みに参加するしお客さんとも喜んでいく。それを見てて思うのは呑みが好きなんじゃなくて、呑みで自分の株を上げる事に集中しているのだ。仕事で自分の株をあげて欲しい。

  • マニュアルがなければ何も出来ない

特に女にこの傾向がある。解らない仕事を押し付けられたときはマニュアル(手順書)が無いと出来ないなどとほざく。トラブルが起きたときにコレを言われたときはさすがに吃驚して、逆に感心すらしてしまった。トラブルにマニュアルがあるんだったら最初からトラブル起きないっての…。最悪なのは自分がトラブルを起こしたときには「マニュアルが悪い」と言う。つまり責任を他人に押し付ける口実にもなっている。
お局さんクラスになると、ただただ、その手順(というかルール)を守るものだから、手順そのものに問題があったとしても、「手順を守れ!」というお局さんもいる。なぜそんな手順になっているのかと聞けば「そんなのは私の知ったことではない」だと。
こうなってくると、会社としての存在も危なくなってくる。
お局さんもそうだが、権力だけ握って無能なのは、気づいた時点で切ったほうが会社としては後々の利益がでると思われる。切る時は若干痛いが。

  • 総じて

じゃあ逆に使える社員ってなんなの?って話になる。色々とパターンはあるけど、自分が思う今まで使える奴ってのは…。

  • プライドがそれほど無い
  • トラブルを楽しむ。いつも何か調べて(勉強して)いる
  • 失敗を恐れない。失敗して上司が怒ってもなんとも思わない
  • 仕事も付き合いも、家族も趣味も、どれも中途半端で、あまり頑張らない
  • マニュアルは読まない

そして、上記の事を意識しないでやってる奴。
そういう意味だと家でゲームひたすらやってるやつも、それが仕事をする事と何ら変わりがないという事に気付くはず。仕事とゲームを一緒にするんじゃねぇだとか言う奴もいるけど。最初からうまくできるわけでもなく、難解な問題を楽しみ、例えミスったとしても、何度でも挑戦し、マニュアルなんて読まないで自分の身体で覚えて、そしてストレスがないように程ほどにする。ゲームとよく似てる。
違うのは責任があるか無いかだが、ただ成功させる為に頑張るという行為そのものに責任なんぞ存在しない。責任は原動力として動くだけで"プライド"と同じ様なものだ。悪い事に、時に、本来の能力を封じ込めてしまい、役立たずにしてしまう。