生まれつきの悪人はいるのか?

まず、悪人を「人を肉体的・精神的に傷つける者」の事だと定義しよう。その前提で大きく2種類の悪人に分けられる。
一つは、何らかの外的要因で元々は普通の人間だった者が悪の道へと進んでしまったというのがある。性善説とでもいうのだろうか。学校でイジメにあっただの、親の自慢の為だけの存在であったりだとか、世間の金持ちなどに対する嫉妬だの。確かにその原因を前提にしてしまえば、社会が悪いだの教育が悪いだの親が悪いという話にはなる。
社会が悪いだのと、それが本当に真っ当な理由かどうかは別としても、何らかのストレスを受けて逆襲とも言うべき行動に出るのなら、恐らくは犯罪者の中では善と悪の葛藤の末に、人に嫌われる事を自ら好んでやっているのだろう。だから仮に、何らストレスの無い生活を歩む事が出来たのだとしたら、自らが好んで嫌われるような事はしない。
日本人は大概、悪人とはそういうモノだと勝手に思い込む。日本人を構成する血液型がA型が殆どで、そしてA型はきまって他人にあわせようと、そして他人と自分は同じだと勝手に思い込む性格だからだ。つまり「もし俺が犯罪をするとしたら…そういう理由じゃなきゃやらないよな〜」とかの思い込みを犯罪者に当てはめている。
これから話すもう一つの悪人のタイプとは、そういったA型達の勝手な概念に捕らわれない定義での悪人である。
日本人は農耕民族。文明が発達したところは大概、農耕民族だ。計画的に食料が手に入る。だから文明が発達するのだが、その為に必要なのはじっくりと腰をすえて物事を考える思考回路だ。動物が狩り・採取をする時には、未来に視点を向けて計画的に考える事は殆どない。目の前にいる食べ物を食べる事。それだけだ。つまり、狩猟・採取を行う事と、農耕とは頭の使い方も異なる事になる。
頭の使い方が異なるのだから、それにあわせて脳の構造も変化するのが当たり前。それが生命というものだ。だから声高々に「人間は皆同じ」とほざく奴は、姿形が同じだから同じとする体育会系の単純思考回路の恥さらし以外の何者でもない。同じではない。劣っているとか優れているとかの話ではない。狩猟・採取が主体の文明と、農耕が主体の文明では、遺伝子レベルでほぼ同じだったとしても、脳の造りが違う。
では最初の悪人の話に戻る。
狩猟・採取を主な生活行動とする人々の思考回路を動物などを手本に考えると、

  • 他人との連携はしない。自由気まま。自分が他と異なっていても気にならない
  • 仕事をしてその代償として何かを得るよりも、欲しいものは直接手に入れる
  • 他人(自分・家族以外)が傷ついてもなんとも思わない
  • じっくりと物事を考えるよりも直感的に考えてすぐに身体を動かす事を好む。そして脳の造りもそれにあわせてあるので、頭に血が昇りやすい

一番重要なのは、ルールに対する考え方だと思う。他人と異なっている事を嫌う農耕民族は、例えば服装が今の流行でなかったとしても気にしてしまう。服装は自由だからルールなんてないのにだ。表に出る、出ないを別に、こういったルールを沢山作っていくのが農耕民族の特徴だ。そして狩猟民族にはルールはない。連携する必要がないのなら、ルールは必要が無い。あえてルールがあるとすれば、力が強いものが望む物を手に入れる。
法治国家なんていうものは農耕民族が自分達の中だけで築いているオナニールールに過ぎない。21世紀の今でも。何年も培ってきた生活スタイルは脳の構造を明らかに変えているから。
だから結論として、生まれつき悪人はいる。悪人というのは農耕民族から狩猟民族を見た視点である。血は混ざり合っているのだから、狩猟民族の血を持って生まれてくるものもいる。そいつが育って、自らの本能に従って行動すれば、法治国家では悪人のレッテルを押される。悪人を見るときに自分の視点で見てはならない、と何度も言っているが、もう一回別の言葉で言おう。
「言葉は通じても気持ちは通じない」