山口を集中豪雨が直撃

今朝、雷で目を覚ます。光ってからしばらくして音がするからかなり離れた位置で雷が鳴っているんだろう。ということは…。まだ雨は止んでいない。外は薄暗い朝焼けの中でライトをつけた車が走る。サーッという雨を弾く車のタイヤの音が響いている。
「また雨か…」
俺は少し汗を掻いたTシャツを脱ぎ捨てて、クーラーのスイッチを入れながらワイシャツを手に取る。まだ乾いていない気がする。かまわないさ。羽織ってタイを締める。
仕事の時間だ。
軽くパンを口に詰め込んでから車のエンジンを入れる。
車庫を離れると滝のような雨がフロントガラスを直撃する。一瞬で目の前が何も見えなくなる。ワイパーを最大にしてゆっくりとアクセルを踏む。こんな事は前にもあった。そしてこれからもある。少し変わった朝を楽しもうじゃないか。
車を少し進めると、田んぼの側でカッパを来た初老の男が呆然と溝を見ながら立ち尽くしている。溝は既に溝と呼べるものではなくなり、コーヒー牛乳のような大量の水がまるで生きているようにうねりながら、男のチャチな長靴を弾き返そうとする。青々と茂っていた田んぼの稲はコーヒー牛乳の中にたっぷりと使って、それでも稲達は自分はそこにいるんだと頭を少しだけ見せている。でも、そこが沼と勘違いされるまであと少ししかないだろう。
国道に出る。渋滞だ。
3メートル先も見えない車達は前の車にぶつかるまいと、それだけが精一杯出来る事だった。ライトを上向きにして前の車を確認する。追い越し車線を少しでも先に行こうとコーヒー牛乳を撒き散らしながら進む車。俺の車のバンパーは泥水まみれになって、それだけでは飽き足らず、フロントガラスはコーヒーを掻き分けて前方を映し出そうとする。
追い越し車線を走っていた車かどうかわからないが、そのマヌケな車は前方の右折しようとした車のケツに噛み付いていた。隣では呆然と無意味な傘を持って大破した車を見つめる若い女の姿があった。ただでさえ渋滞でイラついている運転手達は、その原因の一つである事故を起こした女を『死ねばよかったのに』と恨みの念を送る。
道路は川になっていた。
勢いで水を弾き飛ばして進むほうが賢いのだろう。ノソノソと深い川に侵入した車は排気口に水が入ってエンジンが止まっていた。このまま救助を待つのか。雨が止むのを待つのか。それとも、川が本格的に増水して流されるのを待つのか。あまりにもチンケな国道の隅で人生の選択を迫られる者達。
俺はうるさい雨音をiPhoneから流れるNine Inch Nailsの「Every Day Is Exactly the Same」でかき消して車のスピードを上げる。そろそろ会社だ。
駐車場に車を止めて傘を器用に持って、無意味と思えるぐらいに深く傘を被る。腰から下はすぐにびしょぬれになる。見れば会社の前にある地下道、その前で40代ぐらいの会社員が傘を持って立ち尽くしている。そして覚悟を決めたように階段を下りていく。
「そこに何がある?」
俺も彼と同じ様に階段の上に立ってみた。そして彼と同じ様に、週の最初の日の絶望にも似た感覚を味わってみたのだ。
「これを渡れっていうのか…」
地下道は川になっていた。
行き場のない水がどんどん溜まっている。
バカみたいだ。俺は腰から下に水が少しでもかからないように気をつけてたのに、バカみたいだ。スーツを着たマヌケなサルが汚れを気にしている。実に滑稽だ。そう思うだろ?
「はははははっ!!」
俺は馬鹿笑いしながら地下道の水深50センチはあるかというコーヒー牛乳の海に足から飛び込んだ。スーツが濡れてひんやりして気持ちいい。革靴の中が思いっきりちゅぱちゅぱ音を立てる。
「はははははっ!!」
狂ったように笑いながら俺はステップを踏んでいた。いささか暑い。だから俺は今度は下半身をつけてみた。チンコまでひんやりするコーヒー牛乳の海につかる。
「はははははっ!!」
気づいたら遅かったんだが、カバンも思いっきり泥水に使っていた。中には書類が若干入っている。でも、だからどうした?『だからどうした?』『書類が入っている』それがそんなに重要か?神々はこの泥水で多くの人のストレスを作り出した。さぞ楽しかろう?だが俺はお前よりももっと楽しいぞ。お前よりも、『もっと』だ。
会社に着くと、悲しい顔をした連中がズボンの水を絞ったり靴下をマヌケにも乾かしたりしてる。ささやかな抵抗をしている。俺は小学生のように「じゅっぽじゅっぽ」と靴を鳴らしながら玄関から堂々とオフィスに入る。茶色に変色した書類を机の上に「ベチャ」と並べて、濡れた手でパソコンのスイッチをいれ、キーボードを叩く。
今日の仕事は捗りそうだ。