本当の意味でのリア充を考えてみる

なんでもアメリカでは、家での生活が仕事の評価に繋がるらしい。よき妻、よき夫、家族円満である事がいい企業人だと。
アメリカは映画やドラマが浸透しているせいか、「これが一般家庭だ」っていう目安みたいなのが刷り込まれてて、自然とみんながそれを目指す。
なんだろうなぁ、と思った….
自由の国、アメリカ…ねぇ…。

リア充」w

日本でも昔から「リア充」なる言葉があるのだけれど、アメリカの一般家庭の話を考えていくと、人の生活をマスコミが作った勝手な物差しで測るのはいかがなものかと思う。
改めて自分自身が、いったい何をもってリア充としているのか、考えてみようと思ったのはその話を聞いてからだ。だから他の人には参考にはならんかもしれん。それぞれの物差しでのリア充があるんだろうから。

自分の物差しで測ったリア充

  • 家族、友達、先輩、後輩などと意思疎通している
  • 知らない人ともしている
  • 自分は嫌われてない人間だと思っている
  • 嫌いな人は少ないほうだと思っている
  • 人恋しくなる事がない
  • 会話の中で相手の気持ちを汲み取ったり、妥協できる
  • 店やレストランや居酒屋に一人で入れる
  • 毎日欠かさず自慰をしている(男性のみ)
  • 異性との性行為を定期的にしている
  • フェチズムを理解できる
  • 何を食べようか考えたり、食べていて美味しいと感じる
  • 食べ物に好き嫌いがない
  • 酒やタバコはやろうと思えばできるし楽しめる
  • 映画や小説、人から聞いた話で泣いたり笑ったり怒ったりしている
  • 寝ようと思えばどこでも寝れる
  • 寝る時間が惜しいと思っている
  • 仕事で身体を動かすことは苦ではない
  • 毎日適度に身体を動かしている
  • 欲しいものは我慢せずに買っている
  • 自分よりも幸せ・または不幸な人をなんとも思わない
  • 休日を楽しみにしている
  • 辛い時に楽しいことを考えている
  • 自分には暇な時間などないと思っている
  • 自分で何か(物・ルール)を作るのが好き
  • 何が起きても、何とかなると思っている

当てはまっているものが多ければ多いほどリア充と考えてる。
自分は。
完全に全てが当てはまった週は時間が過ぎるのが早く感じた。そして不安になったり、イライラしたりという感情が消え精神的にも穏やかになっていたと思う。あとは、風邪を引かなかったこと、常に快便だった事も付け加えておく。
せっかくなので、

自分の物差しで測った非リア充

も考えてみようと思う。

  • 必要最低限の会話しかしない。とくに異性とは必要な会話もゼロ
  • 知らない人とはもちろん会話なし。話しかけられると心拍数が上がる
  • みんな自分のことを嫌っていると思っている
  • 嫌いな人ばかり。好きな人は数えるほどしかいない
  • 人恋しくなってネットゲームやチャット、2chを頻繁に利用する
  • 会話とは勝ち負けで常に自分を押し通そうとする
  • 店やレストランや居酒屋に一人で入れない
  • オナニーをするのを忘れている日がある
  • 童貞である
  • 性欲は邪悪なものだと考えている
  • 食事にはこだわってない。好きなものなら毎食同じものでも食べれる
  • 食べ物に好き嫌いが多い
  • 酒もタバコも良さがわからない
  • 映画や小説、人から聞いた話でも、何も感じない
  • 周囲が気になって寝れない。家でも外の音が気になって寝れない
  • 暇な時や休日などはいつも寝てる
  • 仕事で身体を動かすことは嫌である
  • 仕事以外でも身体は殆ど動かさない
  • 何かを買う事よりもお金を貯めている事が好き
  • 相手を見るときは常に自分よりも上か下か
  • 休日に何をすればいいのか思い浮かばない
  • 常に次はどんな辛いことが起きるかばかり考えている
  • 趣味も好きなものもない。あったとしても他の人がやっているからという理由
  • 人が作ったものを批評したりするのが好き。自分では何も産み出せない
  • 悪いことが起きるたびに絶望している

書いてて思ったけど…「人間のクズ」条件リストだな。
リア充ってレベルじゃねぇw
容姿だとか金や権力なんて条件には入ってないのに、考え方ひとつ違うだけでこれだけ人間のクズになれるもんなのかww
もし仮にも全部の条件を満たして、しばらく改善されなかったら生きてるのが嫌になるんじゃないかな。いや、実際に人生オワタみたいな事言ってる奴と話してみたらこんな感じだったような気がする。
で、人生オワタの理由を聞けばやれ金がないだの、顔が悪いだの。そういう奴は使い切れないぐらいの金があっても、世界で一番イケメンになっても満足しないだろうよ。心が荒んでる。
まぁその、人生オワタの奴、a munkの友達の話だが、貧乏な家生まれで将来は金持ちになろうとした奴がいた。
勉強しまくって某有名企業でもいい位置まで登った。望むどおりの収入が手に入った。けれども、この前あって話をしたら昔のまんま。自分の不細工な顔を憎んでるし、貧乏な親とも疎遠になったまま。金は手に入ったから少しは満足してると思いきや、まだまだ稼ぎたいだとか。
コイツは頑張っても頑張っても報われないなと思ったよ。
『自殺』って言葉があるけども、報われない究極はこれだと思うよ。これの逆の言葉は存在しない。それはありべき人の姿だからだろうか。当たり前の事は言葉にもならんのか。『自幸』とか、逆の言葉を考えたらそんなものか。どんな不幸にみまわれても、自分を幸せにする力。その力を完全に失ったものは『自殺』という自分で自分を殺すという行為をする。究極の自己否定だ。

リア充=考え方の問題

自分が定義するリア充には仕事があるかとか金があるかとか、彼女がいるかとか、結婚しているかとか、そういう目に見える条件は登場してない。登場しなくても十分にリア充になりえるからだ。つまり、目に見えない部分=考え方が判断基準になってる。
今までも、これからも、誰かが言うのだろうけども、「幸せと思うことが幸せなんだ」というのはまさに自分が考えているもの。見る視点の違いによって物事は幸も不幸にもなる。
リア充っていうのは他人と比較して気付くもんじゃなくて、自分自身で考えてリア充だということを気付けることを言うんじゃないのか。
「そんなエラそうなこと言えるのは、お前が今まで不幸になったことがないから」とか言われそうだけども、上のリア充リストや非リア充リストを作れるって事は自分が両方を経験してきたからだ。不幸になったことなんて数え切れないぐらいある。
そういう意味だと、この世で一番幸せな人間というのは、様々な不幸を味わってきてそこから精神的な意味で這い上がった人間ではないだろうか。