4 運命は自分の力で変えていくもの

月曜日。俺が女の子にされて最初の登校日。10数年ぶりに会う担任の島崎先生に連れられて、同じく10数年ぶりの2年A組の教室へとテクテクと歩いていく。俺が男の時はちっさな先生だと記憶しているが、まさか見上げるほどに大きく見えるとは、どんだけ小さくなったのだろうか…今度、身長を測ってみるべきだろう。
昨日、都合よく入学手続きが終わらせられて、今日イキナリの初登校、そして何故か、クラスは2年A組。つまり、俺が高校時代のクラスなのだ。だから、今日が本当に自分自身との顔合わせとなる。ここまで都合よく話が流れるのも神様の力という奴なのだろうか。いや、運命の力というべきか。今日にでも俺自身の童貞を奪うことが出来そうなのだ。
島崎が教室に入って、その後を続くと視線が一気に集中しているのがわかった。その中にいた。高校2年生の俺。そして、この次に何が起きるのかも大体は予想していた。あ〜…俺の隣の席が何故か空いてるよ…。まさに運命の力という奴か!
その空席を見るついでにだが、俺自身と目が合ってしまった。あまりにも解り易い反応だったから思わず吹きそうになった。高校2年の俺が、本日転校してきた女の子の俺を見る目。アレは身体中に電気でも走るときの目って奴だ。男ならわかる。俺が街中で可愛い女の子に出会うことがあったが、その感覚に似ている。可愛いなぁ、とかそういう簡単な感情じゃあ説明出来ない。何も説明出来ないで1週間だとか経った後に「アレ…俺何してたんだろ?」という感覚だ。まるで魔法にでも掛かったかのような…。
ここでにっこりと微笑むところなのかな?でも現実はシビアだ。俺は見てはならぬものを見たような仕草で高校2年の俺から目を離した。それが当たり前の反応って奴だ。ここでにっこりと微笑むのなら、一体どんな裏があるのだろうかと詮索してしまう事は無いか?
「えぇと。本日転校してきた、小日向まひるさんです。みなさん仲良くするように」
あまりにも台本どおりの話し方に少し違和感を覚えながら、俺は先生が指差す席、高校2年の俺の席の隣へと歩く。その間にもざわざわと周囲から聞こえる。何?そんなに俺の名前が変か?まぁ変だろうけどな…エロゲのキャラの名前だし…。でも今名前の変なガキいっぱいいるじゃん。聖斗(セイント)とか、弓師(アーチャー)とかさ。ざわざわの中に「ちっせぇ」「かわいい〜」っていう小さな声が混じっている。これは喜ぶべきところか?
「片山、お前、小日向に教科書貸してやれ。まだ揃ってないだろうから」
そういえばまだ名乗ってなかったな。俺は片山亮(あきら)後々わかりづらいだろうから、高校2年生の17歳の俺は「片山亮」と呼ぶ事にする。「俺」「俺」言ってるとどっちがどっちやらわかんないからな。で、結局は運命を変える力というのは教科書を小日向へ見せるところまで改変してしまった。なんというエロゲ並みの好都合展開なんだろうか。
席について片山のほうを見てみる。さっきまで俺のほうに視線が釘付けになっていたにも係わらず、今では先生のほうを向いている。その心理は解る気がする。あまりジロジロ見てたらいつかは目が合うだろうから、と視線をそらそうとするものなのだ。その証拠に、俺が先生のほうを見ていると、チラチラとこちらを見ている。視野の隅っこに意識を集中するとわかる。もっと見てもいいよ、俺はお前の為にここに来たんだからさ。
先生はどうやら委員についての話をしている様だった。意識を片山に集中していたからわかんなかった。そして、文化祭実行委員という言葉が出てきた。
この言葉には凄く嫌な思い出がある。
高校1年の時、先生は委員の指名は独断でやっていった。俺は文化祭実行委員に選ばれた。他にも様々な委員があるが、それぞれ男子1、女子1名の2名でやる事になっている。俺の相方に選ばれた…ええと、名前はなんだっけ?どうでもいいか。
文化祭実行委員の最初の集まりがあるから、俺は相方の女の子を呼びに教室に行った。放課後の教室は人は少なくなり始めていて、その女の子ともう一人、彼女の友達がいた。二人の話し声でわかった。でもその話の内容は思い出したくない高校の思い出の一つだったんだ。
「そういえば、文化祭実行委員のミーティングがあるんじゃないの?」
「あ、うん。そうだね」
「男子は誰だったっけ?」
「えとね、片山君だよ。あの暗くてキモイ奴」
わかっていた。
中学生の時から暗くてキモイ奴だとは言われていたさ。でもほんの少しだけ。1パーセントでも、暗くてキモイっていうのは誰かが広めただけの噂だと思っていたんだ。だから、中学生時代の俺の事を知らない文化祭実行委員の相方が、俺の事をキモイ思っていて、それを平気で友達に言った事がショックだった。
俺はそのままくるりと方向を変えて、ミーティングが行われている視聴覚室に向かった。それから相方の女子も遅れてミーティングに参加したが、まさかあの話を俺が聞いていたとは思わないだろう。悪かったな、キモイ奴と一緒にミーティング参加させちゃって。
そんな思い出が胸をきつく締め上げていた。その時、
「えー今年の文化祭実行委員なんだが、片山、それから小日向。お前ら二人だ」
先生の言葉が割り込んできた。
となりの片山がうつむくのが見えた。
解ってる。嫌な思い出が頭を過ぎったんだろ。でも俺はお前の事をキモイだなんて言ったりしない。キモイって言われる気持ちが解るから。
「がんばろうね」
そんな言葉を掛けてあげればどんなに安心させる事が出来ただろうか。でも俺にはそれが出来なかった。普通の人間なら簡単に口から出るだろう。でも俺は男にも女にも話し掛ける事を躊躇するような男だぜ?彼女居ない暦=生まれた年数どころか、友達居ない暦もあるんだぜ。
そんな事できるわけない。
そう思っていた俺はいつのまにか片山と同じ様に俯いていたのだろうか。片山は多分、それを見てしまったのだろう。「俺と文化祭実行委員になった事が、そんなに嫌なのか」と思われたのかもしれない。多分、俺ならそう思うからだ。だから片山は一層深くうつむいて、それから手で顔を覆っていた。
「で、各委員会の最初のミーティングが今日の2時限目にあるから、みんなサボらずに参加するように。いつもは放課後あるんだけど、今日は学校にお客さんが来るからな」
先生は二人の反応はよそに、淡々と話終わっていた。一方で、周囲のクラスメート達は文化祭実行委員の俺達の反応を気にしていた。そりゃそうだろ、出会って3分しか経たないような奴等が文化祭実行委員にペアで選ばれて、二人とも残念な顔してんだから…。
1時限目はそのまま自習となっていた。
俺は教科書を机に突っ込んだり、そこから1冊を出して懐かしいな〜とか思いながら読んでみたりしていた。そして、ふとさっきの文化祭実行委員のミーティングの事を考えていた。やはり勇気を持って話掛けるべきなのだろうか。「いこっか」とか、たった一言でもいい。片山のほうから話掛けてくる可能性はゼロだろうと思う。そりゃそうだろ、高校1年の時、勇気を持って「一緒にミーティングに行こう」と女子を呼びに言ったら「キモイ」って言われたんだ。高校2年で同じ事が起きない保障がどこにある?いや、同じ事は絶対に起きないだろうけど、そう考えるのが普通だ。
気がつけばそのまま休み時間になっていた。
ところで、このクラスの女子は、実際には3グループあって、一つは化粧臭くて大人びている奴等、マセグループと名付けてる。それから一つは真面目(普通)で化粧とかも殆どしてなく、男子との繋がりの薄い奴等、普通グループと名付けてる。最後の一つはオタク系。完全に男子との繋がりはない。
さっきまで話掛けようと躊躇していたのは俺だけではないようだった。その内の、普通グループの一人が俺に話しかけてきた。
「小日向さんは何処出身なの?」
軽い自己紹介などはナシでイキナリ質問タイムらしい。そういえばそんな雰囲気のドラマはあったな。で、どこ出身と言われるとなんていえばいいか…まったく考えてなかったな。そういえば。
「えと、東京のあたり…」
なんなんだよ、東京のあたり(笑)って…。半径500km圏内のあたりなのか。でも下手に鳥取とか微妙な県だしたら、鳥取の事とか知らないから大変な事になるしな…。たしか砂漠が広がってるんだっけ?
「東京なんだ!なんだかそんな雰囲気してたよー」
東京の雰囲気って、俺は女子高生が黒人みたいな肌して地べたに座って売春してるところだと思ってたけど、そういう印象があるのか?
「うんうん、なんか凄く可愛いよね〜」
可愛い=東京なのか…。そんな事いって悲しくならないのか。東京だって田舎モノの集まりで、以前から東京に住んでる奴等だってクソみたいな田舎顔なんだぞ…。というか、"可愛い"っていうキーワードに反応して女子の一部、先ほど説明したマセグループの奴等が俺の方を見ているんだが。連中はなんだろ、可愛いっていうのが気に入らないのかな?全員が浜○あ○みみたいな面してるのは可愛いっていうのを演じる事が禁止になってるのかな。その浜○の中には1年の時に俺をキモいって言った奴の友達もいる。
そういう考えているうちにも普通グループの女達はべらべらと自分の事を話し始めた。女って生き物は他人が自分の話を聞いてどんな反応をするのかとか、全然気にならないのだろうか。よくもまぁべらべらと長時間(といっても4分ぐらい)話続けられるなぁ。俺も3分間スピーチを会社の新人研修でさせられたけど、この能力があったら嫌な思いを2分ぐらいしなくても済んだのに…。
もうそろそろ教室移動しないといけない。視聴覚室だっけ、ミーティングがあるのは。どうやって片山に声掛けて行こうか…とか思って、片山の席を見たら既にいない!
「あら…片山君、もう行ったのかな?」
俺の視線の向きを見て、普通グループの女子の一人が言う。
そりゃそうだろ、去年の事があるからこうなる事はわかっていた。でも行こうとするタイミングで俺も声を掛けようかとほんの僅かにでも思ってたんだが、既に向かっているとは。
俺は立ち上がって急いで教室を出た。後ろの方から「置いていくなんて酷いよね」という声が聞こえた。違うんだ。あいつは、俺は、元々酷い事をしようと思ってるわけじゃない。今のあいつにとっては、周りの奴が全部敵みたいなもんなんだよ。
教室を飛び出して廊下を見てみると、ずっと先のほうに急ぎ足で歩く片山の姿がある。俺はなるべく走らないようにしてたんだが、歩幅自体が違っているのか急いでいても距離が縮まるようには思えない。もう走るしかない。ずっと先に歩いていた片山は階段を下りるので廊下の角を曲がって姿が消えてしまった。
廊下を過ぎて階段のあるフロアに出た。下を見ると片山が降りている。
「待って!」
思わず声が出た。今まで声を出すときは考えて考えて、やっと声が出るか出ないかだった。もちろん考えた末に何も声が出ない事だってある。だけれど、今はすんなり声が出た。っていうより、気持ちと声が同じタイミングで動いたみたいな。
片山は俺の声に気付いたみたいだった。足を止めて驚いて上を見上げている。その片山と目が合った。
「あ、ごめ…ん。視聴覚室の場所はわかんなかったね」
片山は小さな声でそう言った。そしてそれから、
「女子がそこまで案内してくれるだろうと思って」
そう続けた。
どうにかして俺との距離は縮めまいとしている。なるべく話さないように、なるべく傷つかないように、そして出来るなら、小日向の口から「キモイ」だなんていわれたくないように。そう思っているのが手に取るように解った。
俺はただ、同じ文化祭実行委員だから、ミーティングに一緒に行くべきだろうと思っただけだ。でもそれを声に出す事が出来ない。それさえ言えれば1年前のくだらない出来事なんて吹き飛ばせるのに。
気付けば随分と息が上がっていた。男の脳で動いて身体がついてきてないのだろうか?これも声が出せない理由の一つなのかもしれない。凄い目の中に光が沢山入ってきてる気がする。めまいがしてんのかな?
そのぼんやりとした視界の中で、片山は俺のほうから目を反らして、そしてまた早足で視聴覚室まで進もうとしていた。また行ってしまう。周りの奴等を全部敵にして、孤独を味わって、誰も理解してくれないだろうと思ったまま。違う、周りの奴等全部敵になっててもいい。でも俺はお前の味方だ。俺はお前なんだから。
声は出せないから身体が勝手に動いていた。
気付けば俺は手を伸ばして、そして伸ばした手が片山の手を掴んでいた。
驚いて振り返る片山。そして息を切らしながら俺は言った。
「おいてかないで」
片山はまた驚いて口をぽかんと開けている。
「う、うん」
そしてそう言った。
片山は俺の歩幅に合わせてゆっくり歩いた。それで多分、遅れてミーティングの参加になるだろうが、俺は別に気にしてなかった。片山を見上げてみると、175センチというのが意外にも高い身長だというのが解る。高校の時は周りの奴等はみんな高かったから自分は普通だと思ってたんだが、女の子から見るとこんなにデカく見えるのか。やっぱり俺の身長は測ってみておこう。多分145ぐらいじゃないかな?
「あ、あの…手」
片山が言う。手?手がどうしたって?
よく考えたら、歩き出してからも俺は片山の手を掴んだままだった。なんという異常な光景だ。息が上がっていたから気付かなかった。急いで手を話す。片山の顔は緊張で強張っていた。手を繋いでいた事もそうだが、生まれて初めて女子と話したんだから、そりゃそうだろう。嫌、手を繋いで歩いていたのを誰かが見たとかじゃないのか?と、俺は周囲を見渡す。誰も居ない。休み時間が終りでそれぞれが委員のミーティングに出たんだろう。危なかった。
「小日向さん、大丈夫…?」
小さな、そして少し震える声で俺を心配する片山。息が上がって顔が真っ赤なのだろう。
「ちょっと走ってきたから…」
会話終了だった。続かないな、前からずっとそうだ。会社の飲み会でも俺の隣に座りたがらない。キモイとかじゃあ無いんだが、会話が続かないんだ。それってやっぱり俺自身を相手にしてもそうだろうな。俺はもっとお喋りな人なら少しは話せるかもしれないんだが…。何か話さないと。そうだ、今思った事をそのまま話そう。多分、喜んでくれると思う。
「片山君って、背が高いね」
「え、そう?」
ちょ…終わりかよ。なんかもっとないのかな。「別に普通だと思ってたんだ」とか。何か続きを話さないと…。でも身長差30センチぐらいあるよな。こんなに背丈違うとキスするにも届かないかもね。
「え?!」
突然、片山がそう言って驚く。なんでそんなに驚くんだ?何か言ったっけ?ん?
「…あ…」
俺、今「こんなに背丈違うとキスするにも届かないかもね」と言ってしまった。思った事をそのまま言ってしまった。何やってんだよ…心臓が動きまくってるから冷静になれてないのか?最悪だ…さっきの事といい、変な奴だと思われた…。本当にまずいんじゃないのか?
俺と片山は遅れてから視聴覚室に入っていった。視線が集中している。それもあるし、さっきまで走ってたのもあるし、それから馬鹿な事を言ってしまったというのもあるし、そういうワケで、視聴覚室のミーティング中はずっとパタパタとノートで仰いでいた。
隣を見れば片山もパタパタと真っ赤な顔を仰いでいた。