3 そう、君はあの時も一人で部室でパソコンを触っていたね

前はそこは小さな山。それで火葬場?があったところを公園やら高校やらを作った。つまりは俺の高校時代を歩んだ高校はそこである。
沢山の嫌な思い出が詰まっている場所。度々車では通りかかっていたその思い出の場所を、今俺は制服(女)を着て、訪れている。とりあえず誤解がないように言っておくが、別に変態さんというわけではなく、頭から尻尾まで全部が女である。理由があっての事なのだが、それは割愛しよう。
もう入学式シーズンは終わったその場所はさくらなんてものは完全に青々としていて、少し肌寒い山から振り下ろされる風に髪をなびかせながら、その小高い丘を登って下駄箱がある玄関を目指した。
13年ぐらい前の話だろうか。当時高校生だった俺は、この小高い丘を登る時にただでさえ少ない一日の体力のうち8割を消耗していたのだ。特に月曜日の消耗率は半端なく激しかった。それもそのはずだ。日曜日の夕方ぐらいから食事も喉を通らず、月曜日の朝食は食べない。そんな中で175センチの身長とそれに伴う体重を支えながらこの坂道を登るのだ。じゃあちゃんとご飯を食べればいいだって?俺もそう思うさ。でもご飯をちゃんと食べる人っていうのは、それだけの事が出来る気力が備わっている奴なのさ。
俺にはそんなものは備わってなかった。今もそれを思い出そうものなら、多分、この小さな女の子の身体だ。坂道の半分を上がらないうちに、立ち止まって振り返って、そして学校を背にするだろう。それを最善の選択だと判断するのには常識だとか理性だとかは要らない。ただ本能があればいい。
その頃、俺は全てのモノを嫌っていた。いや、正しく言おうか。"その頃から"だ。
まぁいいや、その話は。
俺は下駄箱で靴を脱いで職員室を目指した。案の定、そこには校長先生だか教頭先生だか、まぁどっちでもいいんだけど、オッサンが待ってたわけで、その人になにやら入学手続きをしたら入学出来たのだ。本当ならテストだとかいるんじゃないのかな?っていうか、入学式から1ヶ月経ってないのに、編入とか出来るんだろうか?
まぁいいや。そんな事はどうでも。普通高校校舎に初めて入るのなら少しは緊張するもんなんだけど、懐かしさしかない。いや、ドキドキしてくるな。それは俺がこれから、今の時間での"俺"と対面するからだ。
日曜日の部活動が行われている校舎では、教室だとかは殆ど誰もいない。時折、何故か部室じゃなくて教室に弁当とか置いてる奴がそこで何か食っていたりだとか話していたりだとかはしてた。転校生である俺を見て、見ない顔だな?とか思ったのだろうか。チラチラと視線を感じる。
そんな視線をよそに、俺は理科室だとかがあるもう一つの校舎へと足を運んだ。そうそう、理科室なのだよ。理科室が俺が所属していた科学部の部室となっていた。科学部なんて怪しげな事をするように思えるけど、実際は熱帯魚の世話とパソコンをいじれるぐらいしかやることはない。帰宅部って選択肢もあったんだけど、大学への進学で何か部活をしていたほうが有利になるっていうのもある。いや、実際、有利っていっても微々たる有利なんだけどね。
その科学部の部室に差し掛かった時だ。キーボードを叩く音が聞こえた。
あぁ、いるな。"俺"だ。
"俺"は175センチの体格に似合わず、キーボードとディスプレイにかじりついて何かを必死に打ち込んでいる。多分、その頃ハマっていたプログラミングだと思う。学校にはC言語の環境が揃っていて、今考えてみれば授業用だと思うんだけど、それが授業で使われる事は無かったな。そのC言語で色々と作って遊んでいたんだ。
部室と廊下は曇りガラスで挟まれてて、そのガラスの上部は曇ってはいない。そこから女の子である俺は、部室の中の"俺"を見つめていた。奇妙な感覚だ。俺は鏡で自分自身の顔だとかは見る事はあるけど、…それから、写真でも見る事はあるか。でも、それらの"俺"はまた、写真やら鏡の世界の俺であって、現実の俺ではない、っていうのが今解った。目の前にいる"俺"はそのどれとも異なるからだ。
自分の使命もあるけども、今、目の前の"俺"に話し掛ける事は出来なかった。C言語もパソコンも、確かに面白い。プログラムが自分の思う通りに動いてくれるという楽しさがある。けれども、何が一番大切だったかって言えば、それはこの廊下と部室の間にある曇りガラスなのだ。曇りガラスがあって、この静けさがあって、それからパソコンとC言語があった。だから俺はこの場所を選んだんだ。
誰とも線で結ばれることのないその場所を。
どんなに自分好みの女の子が目の前に現れたとしても、この境界線を越えてしまえば、きっと大量のストレス性物質を体内に放出する事になるだろう。縄張りを汚されたということか?いや、そんな攻撃的な事じゃあない。俺が学校に来る、唯一の理由を、無くさせてしまう事になるだろうから。
ヘタレだった。
最初は俺は部室の扉を強引に開いて中へと侵入し、「ねね、何してんの?プログラミングって奴なのかな?あたし、そういうの興味あるんだ」なんて話して打ち解けようと思っていたりもした。でも、それが単なる数ある妄想の一つである事を今理解したのだ。そして気がつけば、足音と立てずに部室を去っていく俺(女の子)がいた。
俺は階段のところで立ち止まって、そして振り返った。もしかしたら、曇りガラスの向こうから覗いている女の子の影に気付いて、部室から顔を覗かせている"俺"がいるかも知れない。なんて事を期待して振り返ったけど、あいも変わらずカタカタとキーボードを叩く音が遠くで聞こえた。
思い出せば思い出すほど嫌な学校生活だ。その部室は俺にとっては最後の聖地だったのかも知れない。だが同時に生き地獄であったに違いない。恋人どころか友達すらいない俺の最後の聖地。それを取っ払ってしまえば、きっともう学校へは来なくなるだろう。そして俺はもう既に8割の体力を使い終わっていた。それから、俺自身の顔を見る事が出来たから、それに安心したというのもある。だから俺はもう帰ろうと思う。
なんかやる気とかそういうものも無くした8割の体力に含まれていたのかもしれない。