2 闇から伸びる手

俺の家の近所にあるファミレス「ジョイフル」では、よく深夜から朝に掛けて俗に言う『不良』と呼ばれる連中がたむろしてる。別に何かしらの危害が加えられるわけでもないが、ファミレス内のドリンクバーでそいつらと鉢合わせになると嫌な気分になる。ただそれだけの事だが、それだけの事で、朝の早い時間帯でファミレスに行くのが嫌になったりもする。
だがその時ばかりは、例えそんな連中でさえ恋しくなるほどに怯えていた。
俺の脳裏には嫌な妄想が次から次へと浮かんできた。例えばファミレスに入ったが誰もおらず、突然ドアが閉まり閉じ込められて、得体の知れない幽霊らしきものが俺に取り憑くだとか、実はこれはまだ夢の中で、俺は必死に出口を探しているのだとか。
だがそんな妄想のどれをも裏切って、そこにファミレスは存在していて、深夜の暗闇を明るく照らしていた。俺は階段を上がって(1階が駐車場になっている)店のドアを開ける。誰も居ない。ただエアコンか何かの音がしているだけだ。俺は焦った。だが、しばらくしてから店の奥から女性の店員が現れた。
「お煙草は吸われますか?」
こんなくだらない質問だが人の声を聞いたことで俺は一気に安堵の汗を掻いた。
俺は普段から煙草は吸わないのだが、喫煙の席のほうからバカみたいな笑い声が聞こえた。そっちに『いつもの連中』がいるのだろう。だから俺はあえて『喫煙席』を選んだ。今は一人になりたくない。店員に案内されて、そのバカ騒ぎをしている連中の近くに席を取って腰を降ろす。お手拭もテーブルに置かれていた。夏なので冷たい手拭だ。俺はそれを手にとって手を拭いた。だが、その時、俺の腕には粒になった汗が浮かんでいるのをその時初めて知った。そこだけではない。額にも背中にもびっしょりと汗を掻いていた。
俺が手拭で顔やら背中を拭いている様子をみて、その不良どもは不思議そうな顔でこちらをちらちらと伺っている。別に変に目立ってもいい。こいつらが俺にいちゃもんを付けてきたとしてもいいだろう。彼らは『人間』なんだ。
俺は見たくはなかったが、足首がどうなっているのかもう一度確認しようと思った。もし仮に、仮にだが、紐か何かが俺が寝ている間に足首に巻きついていて、それが元で血液の流れが止まり、まるで人が握ったようなアザが残っていたとしたら、バカらしい話だがそれはそれでよかったのだろう。そうあってほしいと思ったのだ。
ジーパンの裾を捲ってみるが、やはり、そこには手形があった。どうみても、5本指の動物が凄い力で掴んだとしか思えない形のアザだ。まるで指紋すらも浮き出てきそうなほどにくっきりと残っている。特に指の関節と思える部分が解るようにはっきりと形に表れている所が異様である。その箇所を俺は自分の手で掴んでみる。だが、自分の手では足首をつかみきれない。俺よりも大きな手?頭の中にはゴリラのような動物が思い浮かんだ。ちょっと幽霊などとは遠い存在が浮かんだ事で少し安心してきた。
そうこうしていると、店に客が入ったときのあのチャイムが鳴る。こんな時間にも客が来るのか。あの不良達の知り合いか?などと思っていた。そういえばみのりがこちらに向かっているのだった。というのを、入ってきた客がみのりだったのを見て思い出した。
「ゆうくん!」
みのりは俺を見つけて、店員が「煙草を吸うかどうか」などを聞くよりも先に俺の座っているテーブルへ来た。そうやって叫んで入ってきたものだから、隣のテーブルに座っている不良どももこちらを見ている。
「どうしたの?何があったの?」
「変な夢を見た」
「え?夢?」
みのりからは安堵の笑いが出た。そりゃそうだ。電話越しに叫び声をあげて、心配して着てみれば『怖い夢を見た』では子供かお前は、って事だ。
俺は淡々と夢の中…というよりか幻覚と言ったほうがいいかも知れないが、その様子をみのりに話した。俺がその話をしている最中、後の席にいる不良達は突然静まりかえり、聞き耳を立てているようにも思えた。そして最後に、俺の脚に残ったアザを見せた。
「ひゃっ!」
それをみて叫び声をあげるみのり。後の席にいた不良どもの中から女だけが半立ちになって俺の足首に残されたアザを見ている。
「お前から電話が掛かってきたときにこのアザを見て半分パニックになったよ。完全に手形になってるし、まだ痛いし、それに、なんかどんどん赤くはれ上がっている気がする」
「あたしも夢の中で宮元君の足が千切れるのを見たの。それも足だし、ゆうくんのも足だよね。なんで足?足に何か共通してるの?」
「わからん」
「それにさっき、宮元君がまだ家に帰ってないって、どういう事?」
「わからん。宮元のお母さんから俺に電話が掛かってきた。それで捜索願いを警察に…じゃなかった、消防署に出してって言ったよ。杞憂ならいいんだけど」
「やっぱり携帯にも繋がらないの?」
携帯!そうだ、なんで最初にそれを思い浮かべなかったのだろうか。でも宮元の母親から俺に電話が掛かってきたんだ。連絡がつかないならまっさきに自分の子供の携帯に電話するはずだろう。まぁ、携帯の番号を親に教えてなかった可能性もあるか。俺も親には携帯の番号を教えてないし。それならいいんだが…。
俺は携帯から宮元へ電話を掛けてみる。
「繋がった?」
「待て」
まだ呼び出し音が鳴ってる。電源が切れてるのか?しばらく呼び出し音がなって、それから電話に出た。なんだ、宮元、いるんじゃないか。遭難して困っているのか?
確かに携帯に誰かが出たのだが、なんだ、この風の音は?なんで宮元は話をしない?
「宮元か?」
まだ風の音だ。
「おい、悪ふざけは止めろ」
悪ふざけ、と俺が呼んだのは、明らかに携帯の通話開始はされている、そして周囲の風の音まで鮮明に聞こえているのに、まったく電話に出ようとしないからだ。通話のスイッチを押して風に向けて立っているような宮元の姿を想像してしまう。
「いい加減にしろよ」
「ううううううぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
何だこの声は!俺は思わず携帯を放り出した。大音量で携帯からその声が聞こえる。
「るるるううううううううおおおおおおおおおおおあああああああああああ」
「うおおお!」
俺は思わず椅子から立ち上がって放り投げた携帯からさらに距離をとった。不良たちもいっせいにテーブルから立ち上がり、俺と同じようにその携帯から距離を置く。みのりは耳を塞いで別のテーブルの下に潜って蹲った。
「おい!切れよ携帯!」
不良の中の一人が明らかに怯えた声で言う。携帯は絶対にありえないぐらいの大きな音で電話の向こうからの得体の知れない声をばら撒いている。俺は無意味とわかりながらも耳を片方だけ塞ぎ、携帯の通話停止のボタンを押した。音は消えた。
「何、何なのよ一体!」
不良の中の女の一人が叫ぶ。
「しらねーよ!友達に電話掛けたらこんな音が出たんだよ!」
俺は震える手で携帯の発信履歴を見る。やっぱりそこには宮元太一の名前がある。
「何?もう一回かけるの?」
みのりが言う。
「いや、もうかけない…なんかおかしい、何かが」
何かがおかしい、などと言ってはいたが、原因が何かはある程度は判り始めてきた。いや、そこで「わかった」などと言ってしまうのはあまりにも単純だとは思いながらも。ただ、例えば誰かに誘拐されただとか、何かの事件に巻き込まれただとか、事故で死んだだとか、そんな予想とは違う、というのは言える。俺の見た幻覚、それからみのりが見た夢、そして携帯からの不気味な声。これに共通する点は『幽霊』という2文字だった。
俺は注文したフライドポテトには殆ど手がつけられなかった。みのりは少しだけ口に含んで、まるで紙でも食べるように普通よりも長い間、フライドポテトをくちゃくちゃと噛んでは飲み込んでいた。
外はそろそろ明るくなっている。不良達は明るくなったのを見てから店を出た。不気味な携帯音を鳴らしてから後は、向こうのテーブルは一気に静まり返った。それについては本当に申し訳ない事をしたと思った。ただ、俺もそんな事までは予測できない。宮元の携帯からあんな不気味な声が聞こえる事など。
俺達もそろそろ店を出ようかと考えていた。もう入店してから3時間は経っているだろうか。店員は朝の掃除の仕事を始めた。掃除機のうるさい音が禁煙席のほいうから聞こえてきた。
その時だった。
そのうるさい音に混じって、俺の携帯が鳴り響いているのが解ったのだ。
宮元からか?
俺は恐る恐る携帯の着信画面をみる。だが、そこには宮元ではなく別のよく知る友達の名前が出ていた。でもこんな朝早い時間に?時間は朝の7時頃を指している。だが、その名前を見たときに奇妙な共通点があるのがわかった。俺もみのりも、宮元もそうだが、大学時代の同じサークル仲間なのだ。そして今電話が掛かってきている『小林』という名前の男にしても、同じだ。これは何かの偶然か?
「はい、白崎です」
「おひさしぶり、俺だよ。小林だ」
「ひさしぶりだな。大学以来かな?どうしたんだ?」
「あーうん。大学時代にな、同じサークルに宮元って奴がいたろう?」
俺は明らかに身体が強張った。表情が険しく変わったのをみのりも解ったようだ。今まで冷めたフライドポテトをつついていたが、電話をしている俺に集中しているのが見て解る。
「宮元、ああ、つい昨日までは一緒だったよ、そんで今は行方不明になってて、」
「本当なのか…今、あいつの死体が見つかったんだ」
全身の力が抜ける感触がする。一瞬、俺は目の前が真っ白になった。それから一瞬だが耳も聞こえなかった。宮元が死んだ?死んだって言ったのか?何でこうも色々と連続して起きる?明らかに何か別の大きな力が作用している事が判る。例え世間の事を少しも解らないガキだったとしても、何かとてつもない事が起きている事だけは解る。椅子の上だが、そのまま机につっぷして倒れそうになるのをこらえながら、小林の話を聞き続ける。
新南陽市金剛山の近くだ。捜索隊がこの辺りで見つけたらしいんだけどな、妙なんだよ。見つかった場所も登山のルートから外れてるし、妙な死に方をしてるし」
登山ルートから外れているのは知っている。目的は登山じゃなくて廃屋巡りだからさ。だが『妙な死に方』ってところが引っかかっている。脳裏には千切れた足が浮かんだ。俺は「妙な死に方ってのは『足が千切れてる』って事か?」とは聞かなかった。言いたくて喉まで出掛かっていたが、それを知ってる事は不気味がられる。
「妙な死に方って何だ?」
「両足が無くなってる。手に刃が欠けた斧を持ってたから、それで切ったんだと思う」
「じ、自分で?」
「今のところはそうとしか考えられない。今現場検証が始まってるし、検死も昼頃には始まるだろうから色々解ると思うんだが、斧に血やら肉やらがついてたから、それが本人のものだったら、そういう事になるな」
昔からストレートに色々という奴だったが、大学時代の友達が死んでいる状況をこんな風に淡々と言われるとどうかとは思う。俺が電話を取ってよかった。もしみのりが電話に出ていたら途中で卒倒していただろう。ただ、これだけの情報が色々と入ってくるってのは、小林はどういう立場にいるんだ?
「もしかして、小林、お前刑事か何かか?」
冗談半分にだがそれを言ってみた。
「あ、ああ。前に言わなかったっけ?」
大学時代ぶりの友達に電話を掛けといて「前に言わなかったか?」はないだろう。それにしても小林が刑事か。成績もよかったし、収入が安定しているからと公務員を目指すとは大学時代にも言っていたが、まさか警察官になるとはなぁ。
「宮元とは昨日、一緒の金剛山に登ったんだ」
「登山でか?」
「俺と宮元一緒にいて、普通に登山を楽しむと思ったか?」
「いや。おおかた廃屋巡りでもするかとは思ってたけどな」
「その辺りに廃村があるってんで、途中から登山ルートを外れてそっちに言ってたんだけど、俺もみのりも途中でへばってさ。それで山を降りる事になった。宮元は引き続き廃村へ行くって言ってた」
「ねんのために聞くんだが、それを証明できる奴はみのりちゃん以外にいるか?」
なんとなく想像はしていたが、やっぱり刑事だからかそういう事を聞いてくるな。
「いるよ。高校時代の友達が勤めてる店にみのりと二人で夕飯を食べに行った」
「そうか。それを聞いて安心したよ。ただ、さっき奴さんの死体を見た感じだと死後2時間ぐらいってところだ。深夜2時ぐらい…になるのかな」
2時…これも想像していたが、あのタイミングで奇妙な夢をみのりが見て、それから俺が幻覚を見た。そして宮元の親から電話が掛かってきたのもその時間だ。もしかしたら宮元の親もただ心配になったから電話を掛けてきたってだけじゃなくて、何かを見たから電話を掛けてきたのかも知れない。
「死体を見るのは3度目になるが、今回のはキツかった」
「そりゃあ、大学時代の友達だからな」
「それもあるんだが、足を自分で切断してるしさ、それに顔なんて恐怖に引きつってて…あんな表情は普通に生活してる時には作れないだろうよ。それに爪も剥がれてたし」
「爪?」
「床を引っかいた跡が見つかった。まだこれから色々出てくるだろうよ」
「誰かに殺されたのか?」
「わからん」
「写真やらビデオやらも残ってるはずだし、中に犯人が映ってるかも知れんよ」
「ビデオ?」
「あぁ、デジカメとビデオを持ってきてた」
「ビデオなんて見つからなかったぞ」
「途中で落としたのかも知れない。デジカメには何か映ってたか?」
「いや、まだ中身を確認できてない。ビデオも持ってたんだな?とりあえず捜査に戻るわ」
「ん、あぁ」
そこで電話が切れた。
捜査に戻る?あいつ、あの廃村から電話を掛けてたのか。床がなんとか言ってたから、宮元の死体が見つかったのはどうやら廃村のどっかの廃屋の一つらしい。やっぱりあいつはそこへ到着していたのか。
「ねぇ、宮元くん、死んだの?」
「あぁ」
それを聞いてみのりは顔を両手で覆った。そして頭を支えようとテーブルに肘をついた。
宮元が死んだ、それは大学時代の友達が死んだという悲しむべき事態なハズなのに、俺の頭の中では悲しみよりも恐怖が多く意識を占有していた。死に不振な点が多すぎる。小林は「あんな表情は普通に生活してる時には作れない」と言った。人の文明が発展する上で、野生の動物やらに襲われるような事は殆ど無くなった。普段から人は、自分の身に恐怖が襲い掛かる事など殆どなく生活出来るようになったのだ。たとえダンプにひき殺される前の表情だとしても、ほんのわずかな驚きがあるだけではないのか?その人間が本気で恐怖を感じた瞬間の顔が、小林が見たものだったのだと思う。
俺は宮元の死因がわからないからなおさら、宮元が廃村で味わった恐怖、それらが頭に勝手に想像されていくのを、何とかして別の事に意識を集中して気を紛らわせよう必死だった。だが脳は、それが自己防衛の機能だと言わんばかりに、恐怖のシーンを勝手に再現する。
深夜に到着した廃村で、得体の知れぬ気配に気づいた宮元。逃げなければ殺される。闇の中を必死に逃げ惑う。その時、足に何かがまとわりついた。手だ。暗闇から伸びた真っ白な手が両足を凄まじい力で掴んでいる。そして、どこかへと引き摺りこもうとする。宮元は、その『どこか』が終わらない永遠の痛みと恐怖の世界だと直感したのだろう。自らの足を切断する事も厭わないのだから。そして、足と『宮元の命』を引き換えに、暗闇から伸びた手は消えた。
その同じ時間に、俺は金縛りにあい、同じように足を掴む手の感触を共有していた…共有?本当に共有なのだろうか?俺の元にもその手はやってきたのではないか?例えば今この瞬間にでも…。俺はとっさに自らの脚を見てみた。だが、テーブルの下には手などなく、手形の残っている俺の足首が情けなく顔を覗かせているだけだった。
足?そうか、足が見つかっていないと言っていた気がする。
宮元が自ら足を切断していてもその足が見つからなければ『殺人事件』なのだ。俺は小林を含めて、警察関係者が宮元の死について『自殺』や『不審な死』という適当な回答をしぼりださず、本気で捜査するであろう事を期待した。そしてそれが俺の中で少しだけ勇気を生み出す源でもあった。俺だけではなく、大勢の人間がこの異変に対して考えている。俺だけが悩み、恐怖しているわけではないのだ。
そして俺は、突然だが、この異変に対して前向きに考えていた。
「なぁ、みのり。お前が見た悪夢ってのはどんなのだった?」
まず最初は今知りえる情報を得る事だ。警察が調べられない事。
みのりは顔をあげて話し始めた。少しだけ鼻や目の上が赤い。泣いていたのだろう。
「木造の建物で、多分、学校…いや、病院かな。病院だ。その廊下を逃げてて、何かが追いかけてくるの。ひとつじゃなくて沢山の何か。それでね、階段のところで上の階に上がろうとするんだけど、途中で転んで、そしたら足を掴まれて、それで床を引っ掻きながら引き摺りこまれるのを防いでて。それで斧みたいなので抵抗してて自分の足を切ってしまうの」
「切ってしまう?切ろうと思って切ったんじゃなくて?」
「その何か変なものに向かって斧をみたいなのを振ってるんだけど、間違って自分の足を切ってしまうの。最初は片足、それから残った片足も」
「切るって、ニンジンでも切るみたいに、一気にスパンと切ったって事?」
「ううん…よくわかんないけど、多分、半分ぐらい。間違えて切ったんだから」
「じゃあ、半分だけ残った足は、思いっきり凄い力で引き千切られたって事か」
「わかんない、わかんないよ。ただの変な夢なんだから」
相当嫌な夢だったらしい。それに実際に宮元も死んでいるのだから、思い出したくも無いのはなおさらだろう。俺はそれ以上の質問は辞めた。しかしそれにしても、足を持っていかれてもいいと思って自分で切断したのだと思ったが、それはホラー映画の見すぎだったか、結局何かに向かって抵抗しようとしたのがみのりの夢からは解る。これが警察の捜査でどう出てくるかによる。切断面が引き千切られたものなら、みのりの見た夢は大きなヒントだろう。
「今日はありがとな、そろそろ家に帰ることにするよ」
「大丈夫なの?」
「幽霊も昼間には出ないと思うよ。幽霊かどうかもわからんけど。もしまた夜に同じことがあったら、ファミレスに逃げ込むわ」