4 佐波川ダム

数ある大学時代の思い出の一つを呼び起こしてみようと思う。
俺は大学時代にとあるサークルに所属していて、そのサークルは宮元と春日の二人の人物が最初に立ち上げたものだ。つまり、俺が大学に入学した後ぐらいにそのサークルが出来た事になる。それほど伝統は濃くない。
サークルの活動としては、まぁ、どこの大学でもよくあるような心霊研究だとかをやっていたわけだが、俺を含めてメンバーは全員遊び半分でやっていたのだろうと思う。一緒に飯を食べたり、呑んだり、騒いだりする口実が出来るのならそれでいいとか、そういう簡単な気持ちで入るものだろ?
部長である宮元が、週末に心霊スポットの一つに行こうというので、メンバーもそれに安易に賛成した。これがいつもの流れで、そして俺達のサークルでの活動なのだ。
部長の宮元が選んだのは山口県の中の数ある心霊スポットのうちの一つ、佐波川(さばがわ)ダム。何年か前のテレビ番組で紹介された。確か『あんたが主役』って名前だったと思う。この番組は一般から投稿されたビデオを紹介するというものなのだが、この佐波川ダムに行ったと思われる投稿者のビデオの中に幽霊らしきものが映っていたのだ。
これだけなら単なる心霊ビデオなのだが、実はこの話には後日談があり、ビデオを投稿した人が亡くなっている。それは番組スタッフが別のルートで公開した情報である。
と、ここまでの話を『前置き』として俺達にしておいて、さぁ心霊スポットに向かおう、というのが部長の宮元のいつものスタンスなのだから、シュミが悪いことこの上ない。
そして当日。駅前で待ち合わせて、俺達は宮元の運転する車で佐波川ダムへと向かう。防府市を流れる佐波川を伝ってそのまま上流へと向かえばいいと思えばそうではないらしい。途中では宮元が知る限りの心霊スポットを、特に道路沿いのものを重点的に話す。そうやって気分を高めて現地へと向かうのだ。ちなみに、俺達はお遊びで心霊スポットへと向かう事もあるが、今回みたいな曰くつきの場合は昼に行く事にしている。メンバーの中で女子が、特にみのりがそういうのを嫌がるのだ。
車は市街地を抜けて田園が広がるのどかな場所をゆっくりと進む。そして山道へと入り周囲には木々ばかりになる。道路はどこも整備されていて、一見、交通量も多いと思われがちだが、対向車も後から来る車もなし。少し気晴らしにドライブをするにはうってつけの道路である。そしてトンネルを抜けると切り立った谷に出る。橋とトンネルが交互にあるような場所で「ここが佐波川ダムだよ」と宮元が言う。水面は見えないが、この崖の下がダムとなっているのを想像できる。
トンネルを出たところで道路公園が作られていて、そこで休憩する事にした。俺は公園の隅にある『野鳥紹介』の看板を見ていたのだが、車のトランクを開けて中の荷物を確認していた宮元が「あっ!」とか言っているのを聞いて、それを中断して奴のもとへと向かった。
「ヤバイ…カメラ忘れた」
カメラは宮元が持ってくることになっていただろうに。
「はぁ?マジかよ」
俺はあきれた声で言った。
春日もトランクの中を探し始めたが、
「カメラって、ビデオカメラ?デジカメも忘れたんじゃないでしょうね?」
「いや、だからカメラとか全部忘れた」
俺も春日も、それを聞いてぽかんと呆れ顔だ。じゃあ一体何を持ってきたのかと問いただせばお菓子だの弁当だの、オマエはピクニックにでも行くつもりだったのかと俺は怒ったのだ。だが一番ふに落ちないのは本人のようだ。何度も首を傾げて、「っかしいなぁ…俺、持ってきたはずなんだがなぁ」と言ってる。
「とにかく、取りに戻るしかないだろ」
小林が言う。
俺達のサークルじゃあ、メインがビデオカメラやらデジカメでの撮影なのだ。それがなければただの遊びになる。いや、実際、撮影も遊びみたいなもんなのだが。そういうわけで俺達はカメラを取りに戻る事にした。宮元は家でカメラを積み忘れたと言っていた。最初は宮元の家だ。
宮元の家に行くと、さっそく宮元は部屋へ向かって、それからすぐに戻ってきた。
「ない」
それを聞いて春日がため息をつく。そして、
「はぁ?ないって?」
また二人が喧嘩でも始めるのか。もう時間の大幅なロスをしているからな。いくら県内とは言え、徳山と徳地(とくじ)を行ったり来たりを馬鹿らしく繰り返しているからな。
「多分、大学だろうと思う」
「そこに無かったらカメラ屋で買っていくわ」
そしてまた宮元は首を傾げる。彼が言うには自分はカメラを車に積んだ記憶があるというのだ。それは別の記憶じゃないのか。車の中にあったのはお菓子やら弁当だったし。まぁ本人のカメラだから所在を俺達がどうこう言ってもしょうがない。休日の大学の部室へと入っていった宮元はようやくカメラ機材を担いで戻ってきたのだ。
それをみてみんな安心した。安心ついでに春日が言う。
「あんた、県外の心霊スポットにいく時にそれやったらマジで殴るわよ」
春日が怒るのも無理はなかった。佐波川ダムの直前で引き返したのだ。
車は再び佐波川ダムへと向かった。2回目なので道もかなり覚えている。例の野鳥の看板がある道路公園を抜けて、ようやく佐波川ダムの管理所へと向かう山道にたどり着いた。しかし、そこで俺達を待っていたのは通行止めの看板。
「はぁ?なんだよコレ」
一同は車を降りてもう一度看板を確認する。
『崖崩れにより通行止め…月、日まで』
カメラを取りに戻ってきてみればコレだ。俺達は一気にやる気がうせた。本当にどうしようもなく今日は悔しい事ばかり起きるなどと思いながら、結局そのまま防府まで戻って昼飯を食べて帰った。

だがこれで話は終わりじゃあない。
例の通行止めの看板にあった『期日』を過ぎて、もう通行止めは解除されているだろうと、俺達は再び佐波川ダムへと向かった。今度はカメラやビデオなどの機材はちゃんとトランクに積んであることをしつこく確認させて、そして事前の道路情報で崖崩れなどがない事を確認した。(ただ、ダムへの管理道路の崖崩れの情報までは無かった)
何週間かぶりの佐波川ダム管理道路へ向かう国道。途中、以前にも立ち寄った道路公園、野鳥の看板があるその場所で一旦は休憩をして、さぁ行こうとした時、再び信じられないトラブルが起きた。
「ん?」
宮元がキーを回すもエンジンが掛からない。
「バッテリー上がってるんじゃないの?」
春日が指摘する。
「いや…そんな事は…。ラジオだって聞こえるし」
「ラジオ切って。も一回かけて」
再び、キュルキュルキュルという音がする。その何回目かでエンジンが掛かるはずなのだが…。延々とそのキュルキュルキュルという音だけが響くのだ。
「マジかよ」
と俺は、再び数週間前にも言った台詞を繰り返した。
「ねぇ、ちゃんと車検とかいってるの?」
「いってるよ!失礼な」
宮元と春日は再び言い争いをし始めた。そういえば数週間前にも同じ事があったと、デジャヴを感じていた。じゃあ帰ろうかとはならない。だいの大人が揃ってエンジントラブルがあったからと諦めてJAFなどを呼んで帰るかといえば、そうはならないのだ。今回が3回目だから。
「タクシー呼びましょ」
俺達は機材などを各人が持って、タクシーを待った。
待つ事1時間。1時間である。
佐波側ダム近辺の道路公園、と言ったものの、本当にそれで通じているのか不安になった春日が携帯で電話をする。タクシー会社からは、運転手と連絡を取ってみるとの返答があり、しばらくしてから春日の携帯に電話が掛かった。
「え?何ですって?」
と言いながら春日はその周辺をウロウロとし始めた。携帯で話しながらなにやらイラついている雰囲気を周囲にかもし出している。
「事故?」
聞けば、タクシーの運転手がここへ向かう途中で事故を起こしたらしい。そして代わりの別のドライバーをそちらに向かわせたとの事。そこまで起きてから、俺達は何かがおかしいと互いの顔を伺い始めたのだ。4度目だ。4回妨害にあっている。誰から妨害にあったのははっきりしないが、何かが俺達の行動を妨害しているのだ。
みんなそろそろ言い始めるかとお互いの顔色をうかがった時に、みのりが一言。
「ねぇ、これって…。行くなって事かな?」
しかし実際にその台詞が声となって出てしまうと、誰もが口を再び閉ざしたのだ。だが、既にタクシーは呼んである。代わりの別の運転手がこちらに向かっているのだ。今更嫌な予感がするので、やっぱり止める、というわけにもいかない。そして、流石に代わりの運転手までが事故に会うと言うパターンは無かった。ただでさえ車の通らない国道、トンネル手前でタクシーらしき車が通りがかると、俺達は目的のタクシーかどうかはわからないが構わず手を振った。そしてそのタクシーは俺達の顔を変な生き物でも見るように睨みながら、道路公園へと車を駐車した。
「どこへ向かうんです?」
佐波川ダムの管理所までお願いします。場所はわかります?」
「えぇ」
二つ返事でタクシーのドライバーはあと少しの場所にある佐波川ダムの管理所までの道を進んだ。俺達が本来なら俺達の車で向かうはずだった道路だ。悔しい気持ちも少しあり、そしてようやく目的が果たせるという安心した気持ちもあり、時計を見てみると予定の時刻から2時間も過ぎていた。なんという馬鹿馬鹿しい話だろうか。
だが、さらに馬鹿馬鹿しい事が起きた。
佐波川ダムの例の山道手前で、俺達は再び看板を見ることになる。
そこには『道路整備の為、月、日まで通行止め』
呆れてものが言えない。前は崖崩れ、今は道路整備。
「ここから歩いていけるかな?」
「ひと山越えるんじゃないのか?」
「しょうがないでしょう。それにダムの管理をしてる人はこの道から言ってるんでしょう?じゃあ私達もいけるはずでしょ。ねぇ運転手さん」
春日がタクシーのドライバーに話を振るのだが、
「通してもらえないんじゃないかなぁ…一般人は」
見る限りは山道は完全にふさがっていて、どうやって管理所まで徒歩で行くのか疑問に思う。別のルートがあるのだろうか?だが、ドライバーのその言葉で、時間もそろそろ夕暮れにもなっていたので、そこで俺達は諦めた。
タクシーのドライバーに先ほどの道路公園まで送って欲しいと頼み、そして野鳥の看板がある道路公園でJAFを待つ事にした。
しばらく外で待っていたのだが、宮元が突然、車のエンジンを掛けてみようと言い出した。さっきまで掛からなかったのがいきなり掛かるのか?と思ったのだが、ものは試しだ。それをやってみたところ…なんとエンジンが掛かった。一発で。
「なんだよこれ?!」
「ちょっと、一回エンジン切ってみて」
「ああ」
春日に言われて一度エンジンを切る。そして再びエンジンを入れるとまた一発で掛かる。
「なんだよ、ふざけんなよ俺の車」
宮元は自分の車が不機嫌な事に腹を立てた。
それから何度かエンジンを掛けたり切ったりをして、ついでに道路を少し走ってきてからまた戻ってきて、車には特に異常が見られない事を確認したうえで、JAFを呼ぶのをキャンセルして、俺達は車で一度、管理所へ向かう山道へと寄り道していこうという話になった。悔しい気持ちが少しでも晴れればと、自力で目的地(の手前)へと向かう。山道入り口の例の工事中看板がある所で車をとめる。と、何故かエンジンが切れた。
「え?なんでエンジン切るの?!」
春日が怒鳴る。
「切ってない!」
宮元は震えた声で言う。
周囲は既に夕暮れ。ここでエンジンが切れるのはどう考えても嫌味としか思えない。そして俺は、エンジンを掛けてみろと提案するのだが、
「掛からない!」
また例のキュルキュルキュルという音が虚しく響く。
JAF呼ぼう…なんか嫌な予感がする」
みのりが言う。みのりは嫌な予感というのが大概当たる。嫌な予感と言っても様々で、すべてがすべて幽霊に関連する事じゃあないが、大抵は何かしら不利益をこうむる事が起きるのだ。運が悪いという事が。十分今の状態で運が悪いのだが。
JAFを待つ間、俺達はトランクからカメラやらを取り出して、とりあえず今のむかついた気持ちやら不安な気持ちの状態を映像として残してやろうとしたのだ。そこで余計に不安にさせる事が起きる。
ビデオもデジカメも電源が入らないのだ。
「ちょっと、何コレどうなってるの?!」
春日が悲鳴にも似た声で怒鳴る。
誰も何故そうなるのかは口には出さなかったが、みんな気付いていたはずだ。
俺達がヤバイ場所にいるから。
山に囲まれた場所の夕闇はすぐに訪れた。俺達は車のまわりでJAFを待っていたが、周囲の嫌な静けさが気味悪くなり、逃げるように車の中に入る。目の前には例の工事の看板。誰かが居れば落ち着くのだが、工事の看板だけがそこにあって、工事関係者は誰一人と山道から降りてくる気配は無かった。さっきの野鳥看板のあった道路公園ではひぐらしの声などが響いていたのだが、何故かこの場所ではひぐらしどころか他の様々な音が聞こえない。不気味なほどに静かな場所だ。
「ちょっと一服してくる」
小林はそう言うと、車の外に出た。小川のある所まで歩いていってタバコを吹かし始めた。
それからさっきまで黙ってお菓子を食べていた守山は、もう食べるのを止めて「はぁ…お腹空いたね」などと言っている。さっきまで食べてたお菓子はどこのお腹に入ったのかは疑問だ。
静けさが嫌になったのか、春日はラジオをつけた。音楽をつけるというのもありだとは思ったのだが、人の話声が聞こえるラジオのほうが安心できるんだろう。
だが、サーッという音だけしか鳴らず、春日は周波数を合わせ始める。俺もその時、徳地で聞けるラジオの周波数が違うのだろうと一瞬思ったのだが、同じ県内ならどこでも聞こえるはずなのだ。FM山口やら、そういうラジオ局の。だが、局の周波数を検索する機能を使って合わせるも、一周してしまった。どこの電波も入らない。
「はぁ…クソ田舎ねぇ。どこのラジオも入らないわ」
春日はラジオを聴くのを諦めてMDにモードを変える。
そこで音楽が流れるはずだった。
だが、ずっとサーッという音。それがずっと続いているのだ。
「ちょっと、壊れてるの?」
運転席の宮元がMDのEJECTボタンを押してから、出てきたMDを再び入れるも音は変わらず。この車は結構最近出た車なのだが、もうそういった不良が出始めたのだろうか?だが、このタイミングでそんな不良が見つからなくてもいいのに。俺は隣にいるみのりの様子を見てみる。額を手で押さえて、「頭が痛い」という仕草をしている。
「どうした?」
「ん…頭が痛い」
その時、揺れた。
車がゆっさゆっさと揺れたのだ。
「え?なに?地震?」
地震にしては揺れ方が奇妙だ。まるで車を押して揺らしているような横揺れ。しばらくしてその揺れが収まった。とたんにMDから音楽が流れ始めるのだ。
流石にそれには車に乗っている一同、悲鳴を上げた。
この車の揺れとさっきのラジオの音が無くなった事、MDが鳴らなくなった事、関連性があるのか?俺はとっさに、さっきまで鳴らなかったラジオが鳴るのか確認する為に、
「ちょっと、ラジオつけてくれないか?」
春日がラジオの機能に切り替える。
鳴る。ラジオからは普段のように何かの番組で女性の声で葉書の内容の紹介をしているのだ。
「どうなってるの?あ、エンジン掛かりそう?」
「やってみる」
宮元がエンジンを掛ける。
一発で掛かった。
それを聞いてか、さっきまで外でタバコを吸っていた小林が戻ってきた。「なんだ、掛かるじゃないか」などと言いながら。
「ねぇ、小林くん、さっき地震なかった?」
地震?いや、何も感じなかったけど」
「車を揺らしたりしてないでしょうね?」
「は?なんでそんな事しなきゃいけないんだ?」
小林が冗談が嫌いなのは俺も知っている。少なくとも今のこの状況で車を外から揺らすなんて馬鹿らしい冗談は誰もしないだろう。たとえ考えたとしても実行に移す奴はいない。
俺達はエンジンがまた切れないうちにその場をすぐさま急発進した。春日はさっきJAFに車が故障した旨の連絡していたので、こっちに向かうのを止めてもらう事を電話で連絡する事にした様だ。
「ええ、はい。もう車が動いたので。はい」
だが、顔色が一瞬変わる。
「え?あ、はい…はい。もう結構ですので」
宮元はその顔色の変化に気付いたようだ。電話を終えて携帯を静かにバッグにしまう春日を見て、
「どした?なんて?」
JAFの人、ここに来る途中に事故起こしたんだって」

結局、俺達はそれからは佐波川ダムには行っていない。
確かに何度も興味をそそられたが、もし仮にあそこに行ったとして、車が動かなくなったら?と考えると行こうという気にはなれなかった。テレビの映像では車を運転して霊らしきものから逃げる投稿者の姿があるのだが、俺達が行った場合は車のエンジンがまず掛からないのではないかと、そんな不安がするのだ。
もし、投降ビデオと同じ状況に遭遇して車のエンジンが掛からないというトラブルが起きたのなら、それから先に何が起きるのかは、その投降映像には無い。だが最悪の想像が出来る。