29 部室と熱帯魚と、最初で最後の喧嘩

前に俺は熱帯魚の話をしたと思う。
なんだっけ、プータ、ゲンタ、サンタだったかな。科学部で飼ってる熱帯魚だ。理由はわからないけど、今年の夏にうち2匹が死ぬ。そんな事を考え始めたのは、部室に何度か来ていて、熱帯魚が元気に泳いでいる姿を見たときだ。こいつらのうちサンタ以外は死ぬんだな、って見る度に思う。
人も動物もいつかは死ぬ。色んな理由で死ぬけど、誰もいつかは死ぬって解っていても、それがいつなのかが解らないのだからそれなりに頑張って楽しく生きていようとする。とりわけ動物の中でも賢い人間ですら、いつかは死ぬと解っていても希望を持って生きようとする。いや、ある意味、賢い事が全てじゃあないんじゃないかって思う事もある。もし、もしものことだけど、明日の事も解らなくなった時は幸せになれるんじゃないだろうか?
例えば、この2匹の熱帯魚が…死ぬだなんて知らないとしたら。
今日、部室に行った時に、2匹は死んでいた。
水槽の中で一匹は浮かんでいて、もう一匹は沈んでいた。
やっぱりだ。例え30歳の俺が女子高生になってこのパラレルワールドに存在していても、水槽の熱帯魚の死は変えられなかった。俺と片山は下駄箱で出会って、二人でこの部室に来た時に熱帯魚の死体を発見した。発見した時は、「やっぱり」って思った。全身から力が抜けていくのを感じた。
水槽の中ではサンタはあいも変わらず静かに泳いでいた。サンタはいつも仲間外れだった。いつもは他の2匹が泡が出る場所を独占していたんだけど、サンタだけは石影に隠れていた。そういう習性を持つ魚なのかもしれない。石影に隠れるのが好きな魚、泡が出る場所にいるのが好きな魚。だから、他の2匹が死んだ後もサンタは泡が出る場所には近付かなかった。
片山は特に何も言わずツンツンとガラスを突いて、石影に隠れてるサンタを動かそうとしてた。まるでサンタが他の2匹の熱帯魚が死んだにも係わらず、いつもと同じようにしてるのを怒るみたいに。
俺は網で2体の魚の死体をすくいあげた。プータ、ゲンタ。昨日までは元気に動いていた魚。それが突然動かなくなって、ただの肉の塊に変わる。それが死。
親父の葬式の日、俺は棺おけに入った親父に花束を入れる役目だった。それが長男の役目だった。そこには真っ白になった親父が入っていた。綿を口や鼻に入れられて、親父の姿をしていたけど親父だとは思えなかった。親父だとは思えなかった?やっぱりだ。俺は親父の死を否定していたのかも知れない。親戚やら妹やら、そしてお袋も泣くなかで俺だけは涙を流さなかった。耐えていたわけじゃあない。悲しくなかったんだ。親父が死んだ?嘘だろ?死んでないよ。死んでないんだから、別に悲しくも無い。何をそんなに泣いてるの?
でもこうやって熱帯魚の死を2度も体験してると、俺は死というものが絶対的なものだと考えてしまう。エロゲの世界だって、いろいろとフラグはあるだろうけど、最後は死っていう結末を迎える。いや、エロゲはおとぎ話のようなもので、最後なんてないんだろうけど。そう、最後か。最後は結局来るんだよな。片山は俺が死ぬ時も、親父が死んだ時みたいに涙を見せないのだろうかな。
「どっかで熱帯魚買って、水槽に入れる?」
ふと、一匹で泳いでいるサンタが可哀想になってそんな事を言ってしまった。
「ん〜…」
片山は考えているみたいだ。
そういえば、俺はなんで熱帯魚が死んだ時にやろうと思えば別の熱帯魚を水槽に入れる事が出来たのに、それをやらなかったんだろう?金が勿体無かったからかな?とか考えていたら、片山は、俺が昔出した回答と同じ事を言ったのだ。
「それはやめとこうかな」
「え?なんで?」
聞いてみたい。
あの時、俺は何を考えてこの水槽に熱帯魚を追加しなかったのか。
「いや…なんとなく」
「え?」
なんとなくって…それは答えになってないよ。じゃあ『なんとなく』なら、俺が強く望んだら水槽に熱帯魚を入れるんだろうかな?
「なんとなくって、何?入れようよ。なんか可哀想だし…サンタ」
「いや…」
「理由を言ってよ」
片山はしばらく水槽の水を替える作業をしてたんだけど、ため息をついてから言う。
「また一匹になるんじゃないかって思って」
「え?」
「熱帯魚を追加したとしてもさ、またそいつらが死んで、サンタが一人ぼっちになるんじゃないかって思って。一人ぼっちになるのなら、最初っから一人のほうがいいし」
「そ、そんなことないよ…」
「サンタがこの石影に隠れてる時に俺が突いたら動いたんだ。以前は。今は、ほら、動かない。こいつ、ショックなんだよ。友達が死んだ事が」
「そんなことない!絶対居なくなったりしないよ!」
俺の視界に片山がドン引きしてるのが見えた。確かに俺は怒鳴ったりしたけど、どうしてドン引きするのか一瞬わかんなかった。だけれど、俺の視界がぼやけてるからどうして引いたのか解った。気付かないうちに俺は泣いていたんだ。
いつかはまた一人ぼっちになるって?どうしてそんな事が言えるんだ?俺は30年間ずっと一人ぼっちだったじゃないか!サンタに友達がいるって?居ないよ。ずっといなかった。ずっとコイツはのけ者で、一人ぼっちで。
気付いたら俺は片山の腕の中で泣いていた。
片山の身体は俺の身体よりも一回りも二回りも大きくて、包み込むように抱く感じは親父を連想させた。そんな事は生まれて一度もされた事はなかったけど。
一人ぼっちにさせてしまうのだろうか。
俺は夏休みが終わるのと同時にこの世から居なくなる。
そうなったら片山はまた一人ぼっちになるのだろうか?
俺は、また一人ぼっちに戻ってしまうのだろうか。
最後の最後まで俺は言わないと誓っていたが、もう限界が来たんだ。
「真面目な話があるんだけど、嘘だと思わない?」
「え?何?嘘みたいな話?」
「夏休みが終わる8月30日に私、死ぬの」
「は?」
思ったとおりの反応だ…。何いってんのコイツ?って目だし。
「いや、だから神様が出てきて、8月30日に死ぬって、」
「落ち着けよww死ぬとか変な夢みただけじゃないの?ww」
「夢じゃない。本当に」
「最近、元気がないって思ってたらそんな夢信じてたのかよ。ありえないって。大丈夫だよ。人はそんなに簡単に死んだりしないよ。そんな馬鹿みたいな夢が当たってたまるかよ」
「あたしの言う事でも信じてくれないの?!」
まひるの言う事は大抵は信じてるけど、でもそれだけは信じないよ。馬鹿馬鹿しい」
ここまで否定されるとは思っていなかった。こいつなら俺の言う事は信じてくれると思っていたのに。俺は悲しいのか悔しいのか解らずにただただ涙を流していた。
「お、おい、泣く奴があるかよ…」
「わ、わかったから。いいよ。じゃああたしが8月30日で死ぬってのは信じなくてもいいよ。でも人はいつかは死ぬよね?」
「あ、ああ」
「もしあたしが死んだらどうするの?」
「ど、どうって、考えられないよ。考えたくない」
「考えてよ!あたしだってあっくんと離れ離れになるのは嫌だし、8月30日なんて日付は信じてないけど、もしそうなったらどうするの?」
「考えて答えが出るわけ無いだろ、そんな事。まひるが居ない世界なんてありえない!」
○○が居ない世界なんてありえないだって、なんだよその中2病レベルの物言いは。もっと冷静になって考えてくれよ。俺が居なくなった後の世界は、ただ、淡々と30まで生きる世界だろ。そう、淡々と。誰にも干渉せずに、誰からも干渉されずに、ただ一人で生きていく世界だろ…。
それから30になったら…。死ぬのか?このパラレルワールドでも30になると死ぬのか?
なんてフザけた世界なんだ。エロゲに出てくるような美少女が出てきたら、夏休みが終わる頃には死んで、それからは淡々と静かに30歳を迎えるまで生きて、そして死ぬ。なんて馬鹿馬鹿しいエンディングなんだよ。ありえないだろ、こんなフザけたエンディング。
神様は高校生の俺を幸せにするために、30歳の俺を女子高生にして送り込んだんじゃないのか?与えてそして奪って、プラマイゼロか?熱帯魚を水槽に追加したって、いつかは死ぬ。いつかは死ぬのなら最初から居なけりゃよかったじゃないか!なんで俺がここにいるんだよ!俺はここに来て何をした?何を変えた?ただ片山の思い出を作っただけか?
…。そうだ。一つだけ変えたものがあるぞ。
穂坂。穂坂との関係を変えた。
片山が穂坂をフッたけど、でもまだ間に合う。
「そうだ、もし、あたしが死んだら…穂坂さんと付き合って」
「はぁ?」
「穂坂さんならあっくんにぴったりだよ。ずっとあっくんの事を思ってくれたんだから」
「ふざけんな!」
平手や拳こそ飛んでこなかったけど、普段は温厚な片山の怒声は俺の身体を動かなくさせるのに十分な威力があった。俺が今まで受けた怒鳴り声なんてのは人を自分の思うようにコントロールする為に発せられたものばかりだったけど、なにより片山の怒声は本気だった。
まひるの事しか考えられない。もし、まひるが死ぬなら、俺も死ぬよ」
そう言って、俺を抱き締める片山。
俺はただ、その温かい胸で泣くしか術がなかった。