13 右と左、どちらが欠けても空は飛べない

前にも話したけど網本はどこかの右翼団体に所属してるんだ。
網本の部屋の扉を開ければ中からロックだのなんだの、とてつもない音が廊下、そしてついでにアパート全体まで振動させる轟音が聞けるのだけれど、それがなくて静かな日、誰かの大声で叫んだり喚いたりする声だとか笑い声だとか、ときおり泣き声だとか聞こえる時は網本の友達が家に来てる時なんだよね。
ちなみに今の右翼と左翼について簡単に説明すると。
右翼っていうのは外国人なんて日本から追い出してしまえって人達。日本は大戦時にロシアだとか中国、朝鮮とかを相手に派手に戦ったわけだけど、そういう背景もあって日本にやってくる外人で主にそういう国から来た人は感情を刺激するんだろうね。ただ、網本の場合はどの国から来ようが無差別に(ある意味平等に)攻撃対象としてるね。
左翼はまったく逆で外国人と仲良くしましょう、という人達なんだけども、表向きはそうでも実は海外との繋がりを利用してひと儲けしてやろうとか、国内の外国人が自分達の権利をもっと獲ようとするのに表向きは左翼を名乗ったりもする。また、どこかの国のスパイの隠れ蓑になったりもしてる。
でも大半の日本人は左翼でもなければ右翼でもない。日本という国を大切にしようとも思わなければ、かといって外国人が富を求めて日本に来る事を心地よく思ってもいない。そういう宙ぶらりんな考えの人達なんだ。僕も含めてね。
だからその宙ぶらりんな考えの僕がどうして網本の部屋で数名の男達に囲まれて座らされてるのか、誰か納得のいく説明をして欲しいものなんだよ。
僕はただ廊下を歩いていただけなんだ、コンビニでたけのこの里を買ってそれからヨーグルトドリンクを買って、ただぶーちゃんとクリさんの部屋でアニメでもみようと思ってスキップしながら廊下を横切っていただけなんだよ。そしたら「お、いたいた」とかまるで草むらでバッタでも見つけたみたいな感じに僕の襟首掴むと、自分の部屋に引きずり込んだんだ。女の子にこういう事をすると警察を呼ばれる可能性があるとかこれっぽっちも考えていないのかな。
網本の部屋には入ったことが無かった。まずうるさいし。だから部屋の中の様子が…なんというか、映画とかでテロリストが集会をしてるシーンがあるけど、まさにアレなんだよね。まず天井に大きな日本国旗。それからそれぞれの壁には陸軍(白い虎のマーク)、海軍(青い龍のマーク)、空軍(赤い鳥のマーク)の旗が掲げてあって、それからたぶん本物ではない、いや本物であってはならない銃器が壁に沢山掛かってある。大き目のスクリーンには根室奪還作戦の記録映画が流れてる。そしてテーブルの上にはパイプだとか黒い粉に、3色の電源コードだとか時計。これは見なかった事にしよう。
部屋にいたのは網本を初めとして迷彩服姿の男が5名。そのうち、メガネで日本国旗と同じ柄の鉢巻を巻いた中肉中背の人が、
「へぇ〜。隊長のアパートには可愛い子が多いね」
と一言。あらためてその言葉を聞いて、僕は男達の視線に気付いたんだ。ヤバイ!ここはヤバイ!緊張してうつむいてひょっとしたらプルプルと震えていたかも。面倒臭いからとキャミソールと短パン姿(部屋で過ごす格好)でウロウロすべきじゃなかったよ。
「あぁ?このメスか。このメスはどこにでもいる純国産のメス犬だ」
「そ、そんな紹介があるかああああ!」と、僕は力いっぱい飛び掛った。案の定その行動は後にいる中肉中背の男に止められたけどね。
「がるるるるるるる…」
と唸る僕の背後から、
「この子は名前なんていうの?」
「そいつぁどうでもいいんだよ。重要なのはそいつの相方のクリちゃんって女の子だ」
「く、クリちゃん?!もしかして…それは」
「いや、そっちのクリちゃんじゃない」
さすがに女の子がいる場所での変態発言は控えたみたいだ。後から腰に手をまわして動かないようにしてるその中肉中背のことだけど。網本が長々と説明に入る前に、「ねぇ、名前、なんていうの?」と聞いてきたので「ナオ」とだけ答えておいた。
「このメスはクリちゃんと一緒によろずやをやってんだよ。クリちゃんが中々出来る奴でさ、ネットからデータを拾い集めたり、データをばら撒いたり、ハッキングなんてのも朝飯前って奴だ。俺も今まで随分とお世話になった」
そうそう、おもにシモのお世話をね。
「で、今回俺は正式にクリちゃんに仕事をお願いしたい」
と言って、今まで根室奪還作戦の映像が延々と流れていたスクリーンが別のものへと切り替わった。なにやら知らない人の顔写真がつらつらと並んでいるんだ。しいて特徴を言えたのならどこかの会社社長だとか社長夫人?えと、あとは〜市長さんとか。
「今週の日曜日、広島の行天通りで中国人と韓国人、およびその支援団体によるデモが行われる事とになっている!奴等は元々は敵国でありながら日本に堂々と上がりこんで、それだけでも万死に値するのに、国民でないにも係わらず生活保護(日本国民の生きる権利の別の言い方)まで受けさせろとホザいていやがる!!そこらを歩いている野良犬のほうがまだ節度がある!俺は呆れて目の前が真っ白になって倒れるところだった!!!」
そのまま倒れてしまえばいいのに。
そうか、この写真は左翼団体幹部の人達なんだね。
「俺達日本人は『なんとしてでも』連中に生活保護を受けさせてはならんのだ!!あわよくば連中をこの日本から蹴つり飛ばして本国へと強制送還させてやるんだ!お前もそう思うだろ?」
網本は僕の鼻の頭をツンツンと指で押しながら言う。
「別にどうでもい」
「い」を言おうとした瞬間に網本の手が僕の頬を鷲掴みした。僕は最後の声がなかなか出せずに、「いぃぃ〜いぃ…」言うしか無かったよ。
「お前だって生活保護受けてるんだろうが!奴等がその対象になったら必然的にお前がもらえる分もなくなるんだよ!わかんねぇのか!」
そして再び、鷲掴み状態を解除して発言権を得らせるんだ。
「だって政府がそんなの許可するわけな」
「い」を言おうとした瞬間に再び網本の手が僕の頬を鷲掴みにしやがった!僕は再び最後の声がなかなか出せない状態で「いぃぃ〜!」と叫ぶしかなかった。
「悪の芽ってのは最初のうちに摘み取っておかなきゃいけねーんだよ!!お前みたいな外国人にヘコヘコしてる日本人がいるせいで日本って国がいつまで経っても馬鹿にされ続けないといけないんだよ!いいか、国ってのはな、沢山の歴史と死体の上に成り立ってるんだよ!お前等若い奴等がその時その時の気分でどうこう決めていいわけじゃねーんだよ!」
と、網本は片方の手で僕の口を鷲掴みにして、もう片方の手でおでこをツンツンと突きながら好き放題散々言ってから、ようやく僕の口から手を離した。既にその時には、涎がべっとり網本の手についてた。その涎をタオルで拭きながら、
「よし、じゃあ回答を聞こうか」
僕もいつまでもこの馬鹿に付き合っていられないぞ。さっきコンビニで買ったヨーグルトドリンクは既に温まってしまって、開封して喉に冷たく落ちていく快楽を奪われたわけだからね。僕にも怒る権利はあるし、断る権利もある。屈するわけにはいかないよ。だから、
「断る、と言ったら?」
と挑発してみる。
網本は無言でニヤリと笑うと、僕のふとももの下に両足を滑り込ませて座位というか正常位というか、そういう体勢にしやがってさ、「ひゃッ!」とか僕が軽く悲鳴を上げたのを無視して、腰に手をまわして思いっきり胸の谷間に顔を挟んで、すりすりと動かしてきやがったんだ!
「はあああああああ、ナオちゃああああんん、おっぱいがやわらかいよおおおおお!」
「キャアアアアアア!」
僕は思わず鳥肌が立って叫んでしまった。
そして気がついたら、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、いう事を聞きます!」
と言ってた。
屈してしまった…。

「ふむ。面白そうだな」
とクリさんは僕にとっては残念な回答をしてくれた。そして彼女は回転椅子をくるくると回しながら網本がしてる馬鹿みたいなテロ話を聞き終えたところだった。要求だけは好き放題するけども、じゃあそれをどうやって成し遂げるのかなんてのは誰一人とも考えてはいないみたいだけどね。
網本と彼の仲間達はクリさんという人物をとても気に入ったみたいだった。特に彼女の首あたりから尻尾のように伸びてるネットワークケーブルに目が釘付けだった。けれどもそのケーブルがなぜそこにぶら下がっているのかは誰も聞かないみたいだ。
クリさんが言う。
「今回のデモは左翼系のマスコミも集めそうだしな。同時に右翼系マスコミも国民の感情を刺激してやろうと格好のネタ扱いをしているようだ。で、貴様等はこのデモに対して何をするつもりなんだ?」
「こいつ等が日本にとって害でしかないという事を国民に知らしめてやりたい!」
網本のその発言の後、後では彼の仲間がうんうんと頷いている。
「で、具体的には何をするのだ?」
「…わからん!」
「…」
クリさんはしばらく黙ってから、後、ネットで検索してた情報をモニタに表示しはじめた。日本国旗をアレンジしたようなマークが次々とモニタに並んでいる。
「国内の12の右翼系グループが今回のデモ会場の側で外国人排斥デモを行うようだな」
「ああ〜…デモにデモじゃあダメなんだよ。俺達のグループはそういうのじゃなくてだな。もっと知的に国民に伝えたいわけよ。大体、そのデモは左翼系マスコミに世界中に放送されてしまうじゃないか。連中にとっちゃあいい餌なんだよ」
「ふむ…では、彼ら外国人達が危険な存在である事を日本人に知らしめるようにしなければならないという事か。もちろん、左翼系の日本人達が言う周辺各国との関係の重要性もあるが、それを上回るほどの危険度を表現してやればいいのだな」
「そう!そうなんだよ!」

とりあえず僕の今の状況を説明すると、椅子に縛られていて口にはテープが貼られてる。部屋は黒いカーテンとその隙間から差し込む陽光が線になって、空気中の埃を映し出している。背後には中国国旗がデカデカと壁一面に張り出されていてライトアップされている。
そして何より異様なのは僕の左右に構えてる二人の男。ちなみに網本の仲間なんだけどね、彼らは目はサングラスで覆い、口は中国国旗を三角折にしたマスクで覆いっている。そして、その3名をカメラが捕らえているんだ。そんなテロリストに捕まった女子高生みたいな構図をカメラが納めているんだけど、何でその女子高生の役を僕がやらなければならないのかが不思議でたまらなかったんだ。クリさんでもいいんじゃないの。
しばらくそのシーンを撮ったあとに、網本がこれまたテロリストのボスみたいな格好でカメラの前に立って、流暢な中国語で言うんだ。ちなみに言語ソフトをインストールしてるのでここにいる偽テロリストのみんなは中国語が理解できる。自分が大嫌いな国の言葉が頭の中の言語中枢に入ってくるのはすごく抵抗があったみたいだよ。網本は撮影が終わったら真っ先にソフトウェアを削除してやると怒ってた。
「(中国語で)貴様等日本人は我々中国人を強制的に日本へと連れてきて、労働力としてこき使った!!今回のデモは、世界に対して、日本人どもが行ってきた愚行をマスコミを通じて知らしめる事、そして我々が日本国内で我々の意思で発言する最初の行為となる。だが我々の気持ちはそれだけでは収まらない!ここに明確に我々の意思を示す映像を全世界に向けて流す事とする!」
「カット」
とクリさん。
「(中国語で)え?俺、台詞間違った?」
網本は撮影が中断するとさっきまでのテロリストのボスという威厳があるキャラから、一転してチャラい日本人の普通の男に戻っている。
「(中国語で)いや、台詞は間違ってない。それと言語ソフトをオフラインにしろ」
「何?何か俺おかしな事した?」
「いくら日本の女子高生があっぱらぱーでも、テロリストに捕まってもあっけらかんとしてるのは絵的にオカシイ。もっと不安な表情を」
え、僕が悪いの?
「こぉのぉメス豚がぁぁぁ!」とグリグリと僕の頭を拳で刺激する網本。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
あまりに痛くて涙が出てきた。
「そう、そうだよ、泣け!」
「くそォォ…」
クリさんはカメラをスタートさせて、「テイク2だ」と言った。
「(中国語で)貴様等日本人は我々中国人を強制的に日本へと(略」
たぶん、僕がシクシクと泣いている絵と、その前で長身で無精髭のテロリストの男が中国語で恐ろしい事を言っている絵がカメラの中に淡々と収められている事だろうよ。それで撮影が終了すると思ったんだよ。そしたらさ、網本の仲間がどこから持ってきたのか、ポスターみたいなのを僕に見えるように広げやがったんだ。一瞬何かと思ったよ。でもそれが何か解って、僕は今にも縛られている椅子から必死に立ち上がって、ポスターを持ってる網本の仲間を蹴り上げようと思ったよ!
それは僕が一時好きだったアニメ『リリカルプリキュラ』の『あむちゃん』の等身大ポスターだったんだ!あれはコミケで限定販売で日本に20個しかないんだぞ!ただの紙切れだと思ってるんじゃないだろうな!手に入れるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!
「んーッ!!んーッッ!」
僕は渾身の力を込めて縄を解いてやろうと暴れまくった。
「(中国語で)今ここにいる女は、その辺りを歩いていた、どこにでもいる日本人のメス犬だ。今から彼女の愛するものに『彼女の代わり』に辛い目に会ってもらうことにする。これは我々中国人から日本人へのささやかなプレゼントだ。よし、やれ!」
と、網本が行った後に僕は信じられない光景を目の当たりにした。
網本の仲間が日本に20枚しかない『リリカルプリキュラ』の『あむちゃん』の等身大ポスターのあむちゃんの鼻下の部分にマジックで鼻毛を書きやがったんだ!!
そして何故か僕の口に貼られたテープをそのタイミングで外した。
僕は体中の力を振り絞って叫んだよ。
「あむぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
僕は泣いた。心の底から泣いた。
ポロポロと零れる涙。網本は再びテープで僕の口を塞いだ。
「(中国語で)この女の愛したものは、今我々の手によって傷つけられた。これを見て日本人どもは怒りに駆られるだろう。だがこんなものは我々が今まで味わった苦痛に比べればちっぽけなものだ!!我々中国人全員に日本国籍を与え、生活保護下に置け!それが貴様等が出来る我々に対する唯一の償いだ!」
「カット!」
「(中国語で)どうだ?今回はいい感じか?」
「(中国語で)いい感じだ。それと言語ソフトをオフラインに」
「ああ!こんなクソ言語は喜んでオフラインにしてやんよ!ついでにアンインスコだ!」
いや言語とかどうでもいいから、僕のあむちゃんを返してよ…。
僕がしくしくと泣いていると後からテロリストの一人が(網本の仲間が)僕の口についたテープを剥がしながら、「大丈夫だよ、あのポスターはコピーだから」
「そ、それを早く言ってよ…」
本当に発狂寸前だったよ。

それから数日経ったある日、クリさんの家には網本とその仲間が集まっていた。モニターにはネット上のどこかの掲示板の情報が表示されているようだ。そして、雰囲気からすると、なにやらトラブルが発生したみたいだった。
それは置いといて実はあの後、僕がテロリストに泣かされてる映像は最悪な事にクリさんの手によって世界中にばら撒かれていた。様々な憶測が飛び交っていたけども、誰一人として好きなアニメキャラのポスターに鼻毛を描かれたから泣いてたという予想はしてなかったな。大抵は自分の子供を目の前で殺されたとか、そういう刺激的な内容だったよ。いやはや想像力は恐ろしいものがあるね。
そしてその映像に出ている覆面男達が流暢な中国語を話している事から、批判の矛先は真っ先に中国政府に向けられた。案の定、中国政府は我々は関与していないと回答。それは実際に関与していないからそう答えてもおかしくはないんだけれど、普段から関与していても関与していないと答えてる為か、その言葉を信じてるのは自国民の、しかも一部の政府関係者だけだった。
一方で日本のほうでは連日、右翼系マスコミがこれに乗じて左翼な人達やマスコミ、そして国内にいる中国系の外国人に対する報道を延々と流していた。例えば県別の犯罪率と中国人の人口比率だとか、そういう分析結果を評論家とコメンテーターが熱く語ってたり。それでもまだそこにはある程度のマスコミとしての秩序のようなものが存在していたよ。一番酷いのはネット。例え嘘で自分は左翼だとか中国人ですなんて言おうものなら徹底的に所在をハッキングされて家に火炎瓶が投げ込まれる…までは行かないにしてもそれぐらいの狂気に満ちていたよ。
そうやって国民が熱くなってくるとAIによる民主主義なのだから自ずと日本政府も熱くなる。中国に対して政府が出した要求は、犯人を差し出せ、それが無理なら犯人の情報を差し出せ。だった。
網本は何度か「今さら茶番でした、なんて言ったら俺はどうなるのかな」と普段見せないような不安な表情になっていたんだ。クリさんは別に驚かすつもりもなく淡々と「偽りの情報で国民を扇動した場合、国家反逆罪が適用されるはず」と冷たく言っていた。つまり、もう引くに引けなかったんだ。そして最初の話に戻るけど、トラブルっていうのは…。
「まずい事になった」とクリさん。
「え?まさか俺の茶番がバレたとか?」と網本。
「いや」
クリさんがモニターに表示していたのはネット上のある匿名掲示板だった。そこではたぶんだけれど、広島で行われる左翼や中国人・朝鮮人によるデモ参加者の話が書き込まれていた。内容は「今の状況でデモを行う事は危険」だった。確かに、これから日本国籍をとろうと思ってる人達が同じタイミングで日本人を誘拐し、その子供を親の目の前で殺すという最悪な所業をやってのけてるんだから、その口で日本国籍をくれと言おうものなら脅迫以外の何物でもない。
「まずい状況だ。我々の作戦が水泡と帰していまう」
いや、いいんじゃないの…。そもそも今回の話は彼らがデモを行おうとしなければ、網本も今回の行動をするつもりじゃなかった事でしょ。
「せっかくここまで来たのにゼロになるのはキツイな」
って、何故にそうなるんだよ!
クリさんと網本と彼の仲間達は、みんなうつむいて考え始めた。いや、考えないで、もう諦めようよ。ああ、なんかまた寒気がする…嫌な予感がする。クリさんは手加減という言葉を知らないからなぁ。
「ふむ。これは左翼側の人間にも扇動する人間が必要だな」
「ほうほう…」
「私が扇動しよう」
ほらきた…嫌な予感的中。
「でもよ、扇動ったって一体何をするんだ?」
「彼らのバックグラウンドには日本の左翼がいる。連中は表向き綺麗な理由で、国や地方から金を『たかる』事にかけては他の追従を許さない程の技術を持っている。ヤクザと同じだ。生活保護対象になる事で金の一部が浮く外国人どもから彼らに金が流れるのだろう。そんな連中だから金の臭いが消えれば一旦は手を引こうとするのは筋が通っている。だから私は金以外の理由で彼らが今まで扇動してきた外国人の支持を得る」
そう言ってクリさんは網本の仲間(というか『部下』って呼んでたけど)それを二人ほど連れて、今回のデモを扇動している人達の中枢へ潜ると言い出て行った。
とりあえずクリさんのほうは任せるとして今まで練ってきたシナリオ通りの作戦で、デモの日を迎える事になりそう。

当日。
僕と網本と彼の友達は、電車にのって広島へと辿り着いていた。
どうやらクリさんの工作は成功したみたいだった。広島駅が普段からこれほど人が多いかどうかは解らないけども、周囲から聞こえてくる声は日本語ではないから、この沢山の人達はデモに参加する外国人という事になるのかな?ただ、このデモで右翼系のグループが一部人を動員させてるという話があって、実は僕達はそこへと合流する事になっている。駅前だけを見たところ、明らかにデモに参加する人のほうが多い。やっぱり数では負けてるのか。
僕達は待ち合わせの場所へと集合した。
デモ行進は風俗街から出発して行天通りを進む事になってる。ちなみになんで風俗街からなのかっていうのは、外国人が金を稼ぎに来てるのがここだからだよ。そして、その行進の正面で待ち構えて真っ向から外国人は出て行け!と叫ぶのが今回の右翼系の人達の目的なんだ。ただしそれは、網本のような過激な右翼系グループではない、どっちかっていうと行動で示さずに口だけは達者な人達(網本の台詞を借りると)の集まり。網本「連中はやる事がぬるい」と指摘していた。
風俗街のほうを通り過ぎる事は出来なかった。周囲は日本語を話す人達がほとんどいなかったし、網本が右系の人達と合流後に掲げるプラカードに中国語で何か書いてあるんだけど、きっと感情を刺激する言葉が書かれてあるんだろうから、そのプラカードを伏せて歩いていてもきっと見つかってしまう。見つかれば僕は一目散に逃げるけども網本はたぶん…なむ〜。
そして集合場所では網本がその右翼団体を嫌っていた意味がある程度は判ったよ。その人達は人数で負けているからと、ドロイドをいくつか用意してきたみたいなんだ。荷物を運ぶ為に造られた頑丈なドロイドはジュラルミン盾を4本の足にくっつけていて、左翼系の日本人の扇動で暴徒の如く襲い掛かってきた外国人達から身を守る事が目的だという事は見て解る。
「おい、網本」
と、網本を呼ぶ人がいる。見れば網本と同じでメガネを掛けて長身の男が(身体はそんなにがっちりしてない)不満そうな顔で網本及び僕達を見ているんだ。
「ん?なんだ、小酒井か」
「お前、また何かしでかすつもりじゃなかろうな?」
「お前はやり方が手ぬるいんだよ。ここでドロイドの守られながら吼えたって、情けねえ奴だと思われるだけで主義主張なんて誰も聞いてくれやしねーよ」
「じゃあなにか?お前みたいにあの連中に暴力で対抗しろとでも言うのか?それこそまさに左翼の思う壺という奴じゃあないか」
「暴力ってのは必要だが先に暴力振るったほうが負けってのが定説でな」
「ほう」
「お前等は連中が襲い掛かってきたらやり返すぐらいの気合いでいろよ。それと、こんなところで待っていたところで連中は来ないぞ。真っ向からぶつかるならデモ行進が始まる前に連中の集会場所の横に陣取れよ」
「ご忠告をどうも」
その小酒井って人は網本が「ぬるい」って言ってた右翼系のグループの人みたいなんだよね。みたところ周囲には彼よりも年下の学生風の男女が何人かいたから、リーダーなのかもしれない。あ、やっぱりリーダーみたいだ。彼の指示でドロイドが動き始めた。道を塞ぐには十分な数の多脚式ドロイドは上に何人も人を乗せて動いている。
こちらの陣営は若い人と高齢な人の2パターンだった。高齢な人はたぶんだけど戦争を体験してる人で、右翼の人が配っているパンフレットをまじまじと見ながらデモ行進が始まるのを静かに待っていた。一見すると病院帰りのご老人という感じだよ。杖をついた人もいるし、中には夫婦で来てる人もいる。仲睦まじき老夫婦が休日に広島まで足を運んで何をするかといえば、外国人排斥を唱える右翼系グループの集まりとは…。それだけ戦争では思うところがあったのだろうかな。ちなみに若い人のほうは友達だとかカレシを連れて来てて、道端でのんびりと世間話をしたりこれが終わったらお好み焼きでも食べにいこっかとか、そんなくだらない話をしてるんだよ。広島と言えばお好み焼きだからね。
僕達はドロイドを目印に動いて、外国人が集まっている通りを塞ぐような形で駐屯した。そこで左翼系グループと外国人(中国・朝鮮系)と対峙する事になった。といっても、彼らがこれから進むであろう進行方向の道をドロイドで塞いだだけで、あの沢山集まっている人だかりのなかに進行していくことまではしなかった。網本は進め進め!と吼えてたんだけれどね。
小酒井という人も「プラカードはまだ出すな!」って指示をしてる。つまり、外国人からすれば僕達は『同じ目的』で集まった人と思われてるみたいだ。
そこで集まっている外国人と左翼系グループの人達を観察する事が出来る。年寄りから若い人も男も女も、沢山の人がそれぞれ自分の国の国旗などを持って集まっている。この中に左翼系の人達もいるのかな?と、僕が注意深く見てると、いた。いたよ、左翼系の人達が。年齢は40から50ぐらい、小奇麗にいい服やらアクセサリーをつけてるなぁ。こうも的確に網本が嫌うような格好をしてるのだから、彼が右翼に両端をずっぽりと突っ込んでるのも解らないでもないよ。あの人達は社交場にでも来てるつもりなのかな。ああ、そうか…マスコミが来るからか。
と、僕が見たものはもう一つ。
その隣で優々と立ってるクリさんの姿だった。
『クリさん!』
僕は暗号通信でクリさんと会話を開始した。
『ナオか。うまくとりいる事が出来たぞ』
『今日はスケジュールどおりにやればいいんだよね?』
『うむ。とりあえず状況が解るように暗号通信で実況中継してやろう。網本とそのお友達にも通信回路を開くよう言ってくれ』
『わかった』
僕はその場で早くプラカードを掲げたくてうずうずしている網本にクリさんから電脳通信の実況中継回線がオープンできる事を伝えた。
早速、クリさんがいる現場からの声や映像が届き始める。もちろん、視点はクリさんだ。
「栗林さん、そろそろ今日のスペシャルゲストを教えていただけないですか?」
隣にいるケバーい女、年齢のわりには若作りしてる人が言うんだ。彼女の指にはキラキラとアメジストの指輪が光ってる。高いだろうなぁ、何カラットあるのかな。ちなみに栗林ってのはクリさんが偽名を使っているという事なんだろうね。
「ふむ。いいだろう。中国本土から今日の為にわざわざ日本へ遥々お越しくださった、知る人ぞ知る、中国屈指の英雄だ」
「ええと…その方がですか?(中国語で)こんにちは」
「(中国語で)こんにちは」
と、クリさんの背後から現れたのはまるで水墨画から出てきた幽霊のようなひょろひょろ姿のご老人だった。真っ白の髪は後で束ねられて、同じく真っ白の髭がみぞおちのあたりまで伸びてる。杖をついて老人特有の震えがありながらも、用意された壇上へと上がる。
「この方はどなたなんですか?」
「チェン・シュエリャンさんだ」
「え?!」
チェン・シュエリャン?僕は知らないな。でもその左翼のオバサンは知ってるみたいだ。顔を真っ青にしてるし、その事を聞いていた別の左翼の日本人もご老人を知っているみたいで、と言っても姿ではなく名前だけれど、みんな顔面蒼白。この人は一体?
「ど、どうして彼をここに呼んでいるんです?!」
「ん?言っている意味がよくわからないが…日本という国への侵略の第一歩として今日という日があるのだと考えていたが…違うのか?」
「マスコミも来ているのですよ!」
金切り声で吼えるケバいオバサン。でも時既に遅く、チャンさん、いやチェンさんだっけ…、そのご老人は壇上にスタンバイし、マイクを片手に、このご老人からは想像出来ないぐらいの大きな声で話し始めた。他の人は解らないけど、僕は言語ソフトを起動してたので中国語は解る。
「(中国語で)同志よ!良くぞ集まられた!今日という日を心の深くへ刻め!」
会場の空気が一部だけ、中国人だけが「?」という感じになる。一方で中国語の解らない朝鮮人と、言語ソフトをたぶんインストールしていない日本人(左翼)だけはノリノリで空気が読めずに騒いでいる。左翼のオバサンが部下に命令して壇上からご老人を引き摺り降ろそうとしたみたいだけど、チェンさんの部下と左翼にふんしてる網本の部下はそれを防ぐ。さらにチェンさんは続ける。
「(中国語で)大戦後、我が母国は数々の賠償と搾取を行われ国力は一時は低下した。だが海外で健闘する諸君の力もあり、以前の国力を取り戻しつつある!今こそ、我が国が再び世界へと君臨する時なのだ。武器を手に取れ!復讐の時は来た!日本を解放せよ!」(大戦時に中国の政治的な侵略方針は周辺各国から人々を解放するというものだった。つまり、日本という国から日本人を解放して自国の人間とする、という方針)
左翼系マスコミは一斉にカメラの電源を切った。マスコミは右翼系だけが淡々とカメラを回してる。会場からは中国人達の困惑の声がヒソヒソと聞こえる。一方でさっきまではしゃいでいた朝鮮人と左翼の日本人は周囲の雰囲気を感じ取って「へ?」って顔をして黙る。
『ねぇ、クリさん、その人誰なの?』
『知らんのか?大戦中の中国人民解放軍の指導者だ』
『よくそんな人連れて来れたね…』
僕は耳を研ぎ澄まして、中国人達が何を話しているのか聞いてみたら「(中国語で)罠?罠だ」とか聞こえてきた。その声を掻き消すように空から反重力コイルの稼動音が聞こえてきた!
え?何?警察?いや…日本軍だ。さっきまでヒソヒソ声だったのが一斉に怒声に変わった。中国語で「罠だ!」とか「ハメられた!」とか叫んでる。そして銃声が聞こえる。誰かがあの集団の中で発砲してるみたいなんだ!隣にいた老夫婦のうち、おじいさんは「敵襲!」とか叫んで奥さんと共に屈んだ。僕も周囲の人も一斉に屈む。
僕達がいるとおりの反対側に多脚式ドロイドが道を塞ぐように現れてる。それを先頭にして銃を構えているのが日本軍だった。一斉に集団の流れは僕達がいるほうへと変わる。それもそのはずだよ、こっちには軍がいないと思ってるんだから。で、そこで、
『よし、網本、例のプラカードを出せ』とクリさんから電脳通信。
『お?おう』
こちらに向かってデモ集団がなだれ込んできて、その人達は中国語で「どけっ!」とか「逃げろ!」って叫んでるんだけど、そのタイミングで網本が待ちに待ったプラカードを表示。僕は何が書いてあるのか確認してなかったから、その時初めてその内容をみたんだ。えーっと…
「(中国語で)ここがお前等の墓場だ」
ヤバイって!
デモ集団は一斉にジュラルミン盾で防御してるドロイドに体当たりをする。盾には傷はなかなか入らない。けれども荷物運び用のドロイドだからね、あっさりと押し返される。
「引けッ!引けッ!引けッ!」
右翼団体のボスでもある小酒井さんが逃げるように言ってる。
「怯むな!バリアを展開しろ!」
これを叫んでるのはさっき最初に屈んだ僕の隣にいるおじいさんね。彼は杖をついての登場だったのに、今はその杖で襲い来る連中の足を払って転ばしたり、みぞおちを突いたりして、立派な杖さばきを披露してる。
「網本!ヤバイって!逃げたほうがいいよ!」
と僕が忠告してあげてるのに、本人はまるでその場から動く気配なし。襲い来る中国人と朝鮮人と、ついでに左翼の日本人をプラカードでバシバシ殴ってる。でも数じゃあ圧倒的に負けてるから、いつしか網本の姿は見えなくなって、気がつけば彼は集団の足元に寝転がって踏んづけられてる。
「うおおおおお!隊長おおおおおお!」
網本の仲間が彼の元に駆け寄ろうと迫り来るデモ集団へと突撃していく。ああ、南無阿弥陀仏
「クソッ、あの馬鹿」
と小酒井さんは逃げながら言った。僕もその後に続く。
デモ集団はジュラルミン武装の荷物運びドロイドを登り越して商店街のショーウィンドウを壊し、そこから我先にと一目散に逃げている。僕達もまた同じく。それを暴動が起きたと称して放送してる右翼系マスコミもまた、「暴動です!外国人が暴動を起こしています!うグッ!」と網本と同様に揉みくちゃにされてあの人混みの中に消えていった…。なむ…。
今気付いたけど、クリさんとの通信もジャミングが掛かって出来なくなってた。でもあの人ならしぶとく逃げてそうだね…。あのチャンなんとかって人と一緒に。

網本の目的が果たされたかどうかはよくわかんない。
大きな変化というのはなくて、「また外国人が」云々の報道を右翼系マスコミが放送してたから、いくつかある中の一つの出来事として周知されたんだと思うよ。その代償が、かれこれ2週間ぐらい病院で治療をしてる網本とその仲間達なのだから、本当にそれを成功って呼んでいいのか…よくわかんないや。僕にはどうでもいいし。
このデモが暴動に発展する事なんてのは、クリさんがあの映像を流した時から解っていたことで、既に警察はスタンバイしてたんだけど、それはあくまで左だの右だのの人達が互いに暴力を振るわない為にというだけであって、あそこで軍が出てくる事は警察のほうの予定には無かった。クリさんが人民解放軍の元指導者を呼んでさえしなければね。
後でタネ証しをクリさんがしてくれたよ。
あの会場に集まった人は基本的には左翼とそれを支持してる在日外国人なんだけどさ、クリさんが左翼からの金銭的なサポートを受けれるからって不法入国してる外国人の間にブラフを流したんだそうだよ。それから、チェン・シュエリャンという人は大戦中の中国の指導者の一人で、今は国際指名手配になってるテロリスト幹部の一人。日本で彼を支持してる日本人と中国人が集まるから是非きて、って彼の息子を使って誘ったみたい。
何より一番凄いのは現役テロリストを無事に日本に入国させて、そして無事に出国させてるところだよ。ああ…凄いっていうのは、くだらない事なのに全力になって危険な事をしてるって意味でね…。