11 嫌煙者の華麗なる復讐

さて、前回に引き続いて、今回も居酒屋に来てます。
ちなみに今日は珍しくて、普段なら呑みに行くと聞けば喜んでついてくるメガネを掛けた無精髭で長身の男の人がいません。なんだか活動家のグループの集いっていうのに参加してるみたい。活動家って言うと聞こえはいいけど、ようは右翼の集まりみたいなの。他の右翼は街宣デモパレードみたいなのをする一方で網本が参加してるグループはどっちかというとブラフを流したり、無い事実を演出したりして国民を右方向へと引っ張る事をやってるみたい。ずーっと前に朝鮮や中国系の人が住んでるところで暴れて、色々と怪我を負いながら帰ってきたこともあったから、きっとヤバイ事をしてるんじゃないかなぁ。彼の話はそれぐらいにして…。
今日は前回と違って網本が居ない代わりにユキが来てたりする。
その居酒屋での話なんだけど…。
そこは戦前からあるようなウン百年ぐらい経営してそうな古い居酒屋で、これはぶーちゃんが料理が美味しいからってお勧めで来たんだけどさ、美味しい料理店って言うのはやっぱりお客さんが多いんだよね。年の人も若い人も、男も女も、子供連れの家族も、色んな人がその居酒屋に来てた。
カウンターが30人ぐらい座れるって感じで料理人も30人ぐらいいてさ、(厨房にもいると思うので)巨大な居酒屋なんだよ。それで僕達はカウンターとはちょっと距離を置いて、近くのテーブル席に腰を降ろしたんだ。人は多いけど料理はすぐに運ばれてきてさ、じゃあ何が不満なのかっていうとね、運ばれてきた料理を楽しむ時まではみんなとても笑顔だったんだよ。あのユキですら。でも、料理が運ばれてきてから入ってきた客がさ、カウンターに一人座ったんだけどね…。
その客がいきなりタバコを吸い始めたんだよ。
そりゃ、分煙設備やらが完備されてる居酒屋ならいくらタバコ吸ってもいいけどさ、この居酒屋は古いんだよ。そんな設備もないんだよね。せっかく料理を楽しもうとしてた時に横からプカプカとタバコの副流煙が漂ってくる。臭いのなんのって、料理の味なんてあったもんじゃないよ。
それでも僕もぶーちゃんも、ユキも日本人なんだよ、「くせーな、マジで」とか大声で怒鳴ったりするどこかの国の人とは違う。黙って、ただ黙って、その40台後半の男性がタバコを止めて料理を食べ始めるのを待ったんだ。いくらヘビースモーカーでも、料理を楽しむ時にはタバコを吸うのを止めるから…って、思ってる僕達が甘かった。
そのおじさん、タバコを吸いながら料理を食べてる。
タバコを吸って、お酒を飲んで、テレビを見てから、料理を食べて、タバコを吸って、お酒を飲んで、タバコを吸って、お酒を飲んで、タバコを吸って、料理を食べて、タバコを吸って、料理を食べて、タバコを吸って、タバコを吸って、お酒を飲んで、タバコを吸って、料理を飲んで、タバコを吸って、お酒を吸って、タバコを吸って、料理を吸ってるんだよ!
ひっきりなしに漂ってくるタバコの煙。僕達は仕方なしに料理を食べてた。タバコ臭い料理を。それからカウンターにお客さんが来たけど、おじさんを避けて座ってたね。それでも十分に周囲の客にタバコの臭いが漂ってきた。2席開けて(これぐらいが限界なぐらいに客が増えてきた)座ったカップルなんて煙の臭いで、多分このあとホテルにでも行って彼女にキスでもしようものならさ、彼女の唇からタバコの臭いがしてきてムードぶち壊しになると思うよ。
もうユキもそろそろ限界でさ、今日は網本が居ないからユキのキツイ台詞は聞けないと思ってたんだけど、ついに出てしまったね。
「タバコを吸う人は肺ガンで死ぬっていうじゃない。でもアレは嘘だと思うのよ」
「ほぉ〜そうなんだ」
「私の知り合いでヘビースモーカーがいるんだけど、あ、正確には『いた』んだけど、その人の死因はインフルエンザから引き起こされた肺炎だったわ」
「肺炎?やっぱりタバコで肺が弱ってたからじゃないの」
「インフルエンザが流行していない頃に何故か発病して、それからすぐに肺炎になって死んだのよ。それから私はちょっと興味があって、彼がどのタイミングで身体の調子を悪くして、どのタイミングで死んだのかを分析したのよ」
クリさんもその話を面白そうに聞いている。ユキの話はくだらないようで的を獲ている時もあって、意外と面白かったりする。でも普段はあんまり話さないんだよね。で、僕も相槌を打ちながら彼女の話の結末を聞きたくなっていた。
「それでね、とても面白い事が解ったの。彼はタバコを吸った後に身体の調子を悪くしてたのよ」
「え〜…じゃあやっぱりタバコが原因じゃん」
「私も最初はそう思ったわ。でも、彼が一人でタバコを吸っていた時には特に何もおきていないのよ。つまり、彼が誰かの傍でタバコを吸っていた時にだけ、彼の体調が大きく崩れたのよ。しかも家族だとか友達だとかそういう人達の前での喫煙と、知らない人が居る場所での喫煙とでは、後者のほうがより大きく体調が崩れたの」
「んん?それって精神的な問題かなぁ?」
「精神的な問題だけだと、そう思っていたからさらに検証したわ。色々な方面から情報を集めてね。本当に些細な事だけど、知らない人が居る場所でタバコを吸った時には彼の身に色々な悪い事が起きてるのよ。例えば…、財布のお金が足りなくて帰りは歩いて帰らなければならなくなったり、ギャンブルに負けたり、それから電車に乗り遅れたり、後は、天候が急に崩れて大雨が降ったりとか。傘なんてもちろん持ってきてなかったそうよ」
僕達はそれに「ふーん」と言いながら話を真剣に聞いていたんだけど、僕達の座るテーブルの近くのカウンター席にいるヘビースモーカーも、時折こちらに耳を傾けながら話を聞いてるみたいなんだ。やっぱり気になるのかな?自分に対する嫌味を言われてるって事がさ。
そしたら外からさ、バケツをひっくり返したような大雨が振り出したんだ。僕等は傘なんて持ってきてない。いや、この店にいる人が誰一人として傘なんて持ってきてないだろうしさ。
一体どうなってるの?って感じに僕は外を気にしながら、
「じゃあ、一体何だって言うの?」
「『呪い』よ」
「の、呪い?!」
「漫画や映画にあるような大げさなものじゃないわ。誰かが誰かを憎んでいる、ただそれだけの事。そのヘビースモーカーさんは居酒屋で大量のタバコを吸っていたそうよ。周囲の客はタバコの煙で料理がまずくなっていたけど、他人が料理をどういう風に感じてるなんてその人には関係のない事なんでしょうね。でも、自分はタバコの煙によって周囲の関係の無い人たちに介入してるのよ。強制的にね。タバコの煙を吸わされた人達は理不尽さを呪ったと思うわ。そして彼も呪ったのよ。些細な事だけど、ひょっとしたら死ねって思う人もいたのかもしれない」
「で、でもさ、そうやって人を憎んだからって、ぽっくり人が死んでる世の中じゃあ、この世からは人間なんて居なくなるんじゃないかなぁ…」
「だから、私の話は推測から出ないわ。でも不幸な出来事が回数を重ねる毎に頻繁に起きてきたことも事実よ。これの説明として呪いっていうのを上げただけよ」
それからクリさんが、「ふむ、興味深い話だな」って言ってカウンターに座ってるヘビースモーカーを横目で見たんだ。たまたまそのおじさんと目が合ったけどね。そのおじさん、突然席から立ち上がるとポケットに入ってた財布の中身を気にし始めたんだ。それから「あっ」って感じに驚いた顔になってさ、店員に「すいません、おあいそ」って言いやがったんだよ。あれはきっとお金が無かったんだ!なぜなら店員にひそひそ話しして「ツケ」て貰っていたからね。
タバコの臭い煙を撒き散らしながら、そのヘビースモーカーは店から出て行った。外は土砂降りの雨。でもこのままお金も無いのに飲食を楽しむ事は出来ないからさ、しょうがないとは思う。そう、これから電車に乗ろうとしても間に合わずに…駅で何時間か待つ事になるかも?そしたら、またタバコを吸って周囲に迷惑かけるんだろうなぁ。
とりあえず、邪魔者が居なくなった僕達と、それからカウンターに座っていて煙の被害にあっていた人達に微笑みは戻った…かに見えたけど、ユキはカンカンに怒っていた。
「臭いわ。服にタバコの臭いが染み込んだわ。最悪」
そういえば、なんか僕の服からもタバコの臭いがする。あのおじさんは既に店から居なくなって臭いの元凶は消えているのにまだ臭う。それだけ存在感があったのか。このお店の客は表面上笑顔は戻ったと思うんだけど、服に染み込んだタバコの臭いが鼻につくたびにあのヘビースモーカーのおじさんの事を頭に思い浮かべて「死ね!」って思うのか…なんていう恐ろしい呪いパワーなんだ。
「さ、さ、最悪だよ。りょ、料理が…臭くなってる」
ぶーちゃんも、悲しみにも怒りにも似た表情で落胆してる。
「喫煙者はマナーが無いと言うけど、マナーが無いから喫煙者というんじゃないのかしら。マナーがある喫煙者は人前じゃ吸わないから喫煙者だと誰も認識しないわ」
「確かにあのおじさんは最悪だったね」
「ほんと、死ねばいいのに」
うわ、でた。でました。ユキの死ねばいいのには呪詛の念が篭ってるから抵抗力が無い人はこの言葉を聞いただけで死んじゃう事もあるんだよ、本当だよ。
「確かに先ほどの客はやりすぎのようだな」ってクリさんが目でカウンターのほうを見ろって合図する。お店の人がカウンターの周囲の客(ヘビースモーカーの近くに座っていた人)に謝ってる。お店の人は何も悪くないのに。それに、あの調子だとまたお店にそのヘビースモーカーさんは来てからまたお客さんに迷惑掛けるんだろうな、と思う。
「タバコ脳という奴だろう。『周囲に迷惑を掛けるからタバコを止める』という選択肢は無いらしいからな。痛い目にあわないとなかなかタバコは止めれない。タバコの優先度が一番上に来てるのだろう。ある意味、我々は彼にとってはタバコよりも価値の無いモノだ」
「まさにそうね、さっきの屑はタバコ脳に足が生えてるだけの生き物の気がするわ。どうにか出来ないものかしら。まぁ出来ないのは解ってるけれど」
「いや、出来ない事もない」
クリさんのその台詞に、僕達3名は、いつもの固まって言葉を詰まらせるって行動をしちゃうんだ。え、出来ない事もない?ってどうやるの?
「どうやって懲らしめるの?っていうか…タバコを吸ってる人は不特定多数だけどさ…。そんな人を一人づつ懲らしめるって、それは警察のお世話になる部類じゃないの?」
「前にも言ったが、犯罪というのは警察によって認知されて始めて犯罪と成す。それまではただの行為に過ぎないのだ」
「で、どうやってやるの?」となんか今回はユキが乗り気なんだ。
クリさんが説明をしようとしたその時、僕らのテーブルにもお店の人がきた。やっぱりそうだったんだ。さっきからカウンターの客のところにも周ってたのは、謝っていた事プラスお詫びにデザートを無料でくれるって事なんだ。個人経営のお店じゃなきゃこれだけのサービスは出来ないね。でも本当にそのデザートまで用意しなきゃいけないお店の人って、タバコに泣かされっぱなしじゃないか。僕もぶーちゃんも、クリさんの『懲らしめる方法』って言う奴をますます聞きたくなってきたよ。
「ニコチン中毒患者の治療に使われるマイクロマシンがある。『ジル』と名付けられたそのマイクロマシンはジルシブと呼ばれているニコチンに反応する物質を積んでいて、血液中に一定量のニコチンを検知するとタンパク質膜を脱いで内部の物質を開放する。これを空気中に散布すればニコチン中毒患者の体内だけに特定の物質を投与できる」
「クリさん…それってテロって言うんじゃないの?」
とりあえず、僕も何か言っておかなければ…。誰も言わないから僕が言ったよ。
「テロ?私はニコチン中毒患者に対する治療のつもりだが」
「…」
「それで、特定の物質って何を投与できるの?」とユキ。
「タンパク質膜で覆えるものならなんでも。『イソライド』なんかがいいんじゃないかな」
「『イソライド』?どんな効果があるの?」
「嘔吐・下痢」
「いいわね、それ」
というわけで、僕達は次の日、とある大学の研究室を借りる事にしちゃったんだ。

地方の大学は都内のよりもセキュリティはとても弱くてさ、しかも出入りも激しいものだから警備員も僕達の顔を知らなくても通門証で通過させちゃったんだよ。この中で年齢も見た目も大学生だと思われるのはぶーちゃんぐらいで、後の3人は本当の女子高生って感じじゃないか。それでも廊下で出会う人達は何ひとつ気にしない。気にしないねぇ。すごいや。
研究室も予約されていた。僕達の名義で。それから必要な機材やら、材料などもネットで取り寄せた後だった。実は機材に関しては既に大学に置いてあった。これは取り寄せで簡単にもってこれるものじゃないからね。
クリさん曰く、入手が困難だったのは『ジル』と呼ばれるマイクロマシンだった。まだ認可が下りてなかったらしいよ。そういえば研究段階だ、って言われてたしね。結局、ジルシブを闇ルートで手に入れて、MMファクトに突っ込んでジルを造るところから始める事にした。
ちなみに、MMファクトっていうのは電脳化手術をする時に後頭部に埋め込む機械なんだけど、これは頭の中に流れるマイクロマシン用のもので、研究室や工場に置いてあるものは設計図と材料さえあれば、色々なマイクロマシンを生成できる。
クリさんのほうでジルシブを、僕とユキは空いている機械を使ってイソライドをタンパク質膜で覆うって作業をした。ぶーちゃんは廊下で見張り。
それから15分ほどで最初の一つが出来上がった。コップ一杯分の『ジルシブ−イソライド』だ。無色無臭のちょっと粘り気のある液体。クリさんが空中に散布する、っていうのに適した形がその液体らしいけど、これは霧吹きなんかで撒き散らすのかな。
「霧吹きで撒き散らすのありとは思うが、固形にして熱して水蒸気と共に散布させる方法もある。それは使用者によるわけだがな」
とりあえず、試してみなきゃわかんない、って事で、僕達は出来立てほやほやの対喫煙者駆逐兵器『ジルシブ−イソライド』を持って大学の食堂にお邪魔する事にしたんだ。
体育館の傍の芝生の沢山ある場所の真ん中に目新しい建物があって、そこが大学の食堂だった。ちょうど休憩時間になってて、地方の偏差値の低い大学によくあるような光景が広がっていた。ちょっと頭の悪そうな学生達はタバコを吸う派と吸わない派に分かれてテーブルに座っていた。やっぱりここも中身は古い建物みたいで分煙とかは行われていないみたいだ。
僕達は食券を購入して学食をいくつか注文した。ぶーちゃんは何故かこの大学のこの学食でも何が美味しいのかを把握してるみたいで、そのお勧めを僕も注文する事にしたんだ。それは焼肉丼だったんだけどね。それから工場の流れ作業みたいにドロイドが作り出した学食をそれぞれが取ってから、僕達は中央の(やっぱり嫌煙者は分煙されていないのが嫌いみたいで、中央のテーブルは空いていた)テーブルにどかっと座って、昼食を採った。
テーブルの中央には不自然な事にも香水をまくノゾルが付いてる小瓶が置いてある。これをユキがしきりに「しゅっしゅっ」とやってテーブルの上に水滴が見えるほどに撒き散らしてたんだ。あんまり沢山振りまくと色々とと問題があるだろうに…。
僕らのテーブルの横を通り過ぎる人を観察してみて、どんな風に表情が変化するのかを見てたんだ。例えばその人がニコチン中毒患者だったら顔色が悪くなるとかね。でも場所が悪かったのか、僕らのテーブルの横を通り過ぎる人はいなかった。
場所を変えようとかユキが離している時にそれは起きた。
なにやら、その大学でもとりわけ頭の悪い連中が、僕らの存在に気付いたみたいで満面の笑みを浮かべながら僕達のテーブルに近付いてきたんだ。そりゃあまり知らない顔の女子高生な感じの若い女の子が3人来てれば話掛けたくなる気持ちも解らないでもないけどね。ぶーちゃんはその人達が不良っぽく見えたのでちょっと怯えて身構えていた。大丈夫だよ、多分、ぶーちゃんには用事はないと思うから。そしてその人達は偶然かそれとも狙っているのか、まるで僕達を逃がさないようにテーブルを取り囲んだんだ。見れば本当に不良っぽい。よくまぁこういう頭の悪そうな人達がこの大学を受かったものだと関心しちゃうよ。それだけ偏差値も落ちてるんだと思うけど。
その見るからに馬鹿そうな無精髭を生やしたちょっと太った男が、タバコ臭い息を吐きながら僕の前に来てさ、
「見ない顔じゃん?どっから来たの?留学生?」
とか言い出すんだよ。僕意外にもクリさんなんかはネットワークケーブルを弄られてて、「え、これなに?どうしたの?」とか言われてる。それに対して「触るな、怪我をするぞ」とか言ってるクリさんも凄いけど。ユキはユキで狂ったようにテーブルの上に『ジルシブ−イソライド』の水滴を撒き散らしてる。
でも、ものの10秒ぐらいだったよ、彼らがまともに『話しが』出来たのは。
僕の目の前の男は、顔面蒼白になって、
「へぇ、可愛いじゃん、君、うぉぉお゛お゛お゛お゛ええええ゛え゛え゛え゛え」
と僕の目の前にゲロを撒き散らしたんだ!
危うくひざにゲロが掛かるところだったよ!あぶねー!
それを見た周りの連中も、貰いゲロだったのかそれとも薬が効いてるのか、「うっぷ」とか言いながら口を押さえた。けれども手からはゲロが噴出しそうになっていた。ちょっと痩せてて色も白いハーフの男なんて、突然お腹を押さえて蹲ったかと思うと、「ブピッ」って音がしてズボンから茶色い液体が吹き出てた。多分あれは…ひぃぃぃ。
「ちょっと…レディを前にゲロを吐いたり糞尿を漏らしたり、貴方達、失礼と思わないの?」
ユキが勝ち誇ったように言ってのける。
クリさんは器用にゲロを避け「汚い、汚い」とか言いながらその場を離れた。
僕の目の前の男は特に集中砲火を食らったみたいで身体の中が完全に綺麗になるっていえるほどのゲロと糞尿を噴出していた。とりあえず僕もユキやクリさんが席を離れるのに乗じて、「ヤバイ、貰いゲロしそう」とか言って、ぶーちゃんに肩を借りながらその場を離れたんだ。
食堂を後にする時に背後のほうから他の人も(多分、他の喫煙者)一斉にゲロを吐いてるような音が聞こえた。まさかウンチまで漏らしちゃうとはね…凄まじい成分じゃないの。

そして、対決の日。
前回は居なかった網本を含めて5人は、先日の居酒屋に訪れていたんだ。ここで人が料理を楽しんでいる間にタバコをプカプカ吸ってる人に復讐するんだ。っていのがユキの考えね。クリさんが工作機械を使って作った特殊な煙管(キセル)に例の薬の種をセットして、スイッチを入れると空気中に散布されるようになってる。ユキがこのキセルを吹かす。
僕達がお店に入ると既にカウンターには何人か座っていて、よくみるとあのヘビースモーカーのおじさんが座ってるじゃないか。僕はちょっと緊張してしまったんだよ。背後のほうでユキのさっきにもにた雰囲気を感じ取っていたから…。例の凄まじい薬を誰の為に作ったかと言えば、そのヘビースモーカーの為なんだからさ。
僕達は前回と同じ位置のテーブルに偶然にも案内された。もう既に周囲にはタバコの煙が充満していて、カウンターの客は、明るく話してはいたけれども、時折そのヘビースモーカーの出す煙に視線が映っていた。つまり気にしてる。待ってて!今正義の味方が現れたからさ!
注文をして、待つ間にユキが煙管を吹かし始めた。ユキがタバコらしきものを吸っているのを見て、驚いたのか網本が話し掛けるんだ。
「なんだお前、タバコ吸うのか?」
「なに?悪いの?」
「いや、全然。つぅか、俺が飯食ってる間に吸うなよ」
「そんなの解ってるわよ」
ショーが始まる…。僕達は固唾を呑んで見守った。そのヘビースモーカーのおじさんは最初、強く咳き込んでからも、それでもタバコを吸うのを止めなかった。酒を呑んでからタバコを吸って、酒を呑んでからタバコを吸って、って繰り返してた。随分粘るなぁ。って思っていた矢先に始まった!
「ゲホッ!うう、うぉおぉぅえ…!」
今まで食べたり呑んだりしてたモノが一気に外に排出された感じだった。壮絶だったよ、まるでシンガポールにある、なんだっけ、ライオンみたいな石造の口から水が吐き出されてるじゃん、アレだよまさに。あんな感じでゲロがビュビュってカウンターに吹き出た。ドン引きの周囲の客。微笑むユキ。そして「うぉぉぉぉ!汚ねぇ!」と叫ぶ網元。
一方で、ユキはニコニコしながら「タバコを吸いすぎると食べてる時にゲロを吐いちゃうのね。私も気をつけなきゃ」とか言って煙管を更に吹かす。
ゲロが気管に入ったのか、それとも元からタバコで気管や肺を痛めていたのか、そのおじさんは咳き込み始めて、座っても居られなくなって、地面にへたり込んでゲホゲホ、ゲロゲロやってる。追い討ちを掛けるようにユキが煙管を吹かすもんだから…。店の人が「大丈夫ですか?救急車呼びましょうか?」とか言ってる。カウンターに座っていた水商売っぽい女性達は誰一人としておじさんを気遣うものは居なかった。むしろ、席を一つ移動して係わらないようにしてた。
「だ、だいじょう、げぼっ」
おじさんは既に胃の中のものを全部出し切ったみたいで、ゲロを吐くといっても胃液ぐらいしか出ないみたいだ。この薬は元々解毒薬としても使われているってクリさんが言うように、本当にしつこいぐらいに体内の部外者的なものを排出するように出来てる。これ以上吐いても何も出ないと誰もが思ったけどもおじさんの身体は薬の作用で吐き続けたんだ。苦しくて涙を出しても止まらない吐き気。
結局、店の人は救急車を呼んだ。
「おいおい、大丈夫かよ、あのオッサン」
さすがの網本も突然のおじさんのリアクションには驚かされたみたいだ。
カウンターやら床やらを店の人が片付けてた後、その上にはおじさんが置いていったもの、タバコとライターがいくつか残っている。これのせいでこんな目に会っただなんて、夢にも思わないだろうね。
「ザマぁ無いわね」
ユキがそう吐き捨てた。彼女なりの復讐が終わったんだ。
でもヘビースモーカーのおじさんが居なくなって良い気分になったのはユキだけじゃないみたいだ。カウンターの水商売っぽい女性数名も、「臭かったね〜」とか言いながら微笑んでいた。一人は黒のワンピースドレスのスカートのところを手でパンパン叩きながら「臭いが服に染み込んじゃってる、最悪」とか小声で言った。その後、反対側のカウンターに座っていたサラリーマン風の男性2名が店の人に、「料理に何忍ばせたの?まぁ、居なくなって清々したけどさ」とか冗談半分に言っていた。
「そうとうに体内にニコチンを蓄えていたみたいだな。副流煙を吸っている人に影響が出ないように薬の濃度は少なくしてたんだが、まさかこれほど反応するとは」
とクリさんは満足気に自らが作成したテロ煙管を見つめた。
「なんだよ?なんなんだよ、薬の濃度って?またクリちゃんやらかしたのか?」
網本が言う。やらかしたとか当たってるけどそういうところは感が鋭いんだから。
「それだけじゃないと思うわ」
とユキが言う。ちなみにそれだけじゃないっていうのは網本に対して言ったんじゃないと思うよ。ユキはいつも網本無視するしさ。
「ふむ、また呪いという奴か」
「そうね、それもあるけど…彼、泣いてたわ」
そうそう、苦しそうにおじさんは泣いてたんだよ。まぁゲロ吐く時は苦しいからさ、涙が出るなんて事はあると思うんだ。僕は無いけどね。
「あー、しっかし、ビビったぜ」と網本がポケットからタバコを取り出して吸おうとしてる。さすがにこのテーブルにゲロをぶちかますのはカンベンして欲しいから、
「ちょっと待ったぁ!」
と僕は網本が吸おうとしてたタバコを取り上げた。
「あっ、てめ、何するんだよ!」
「今は吸わないほうがいいよ!」
網本はカウンターのほうのゲロがあった場所を見てから、
「マジで?」
と言った。

ユキは相変わらず、クリさんに貰った例の煙管を持ち歩いてるみたいだ。彼女のほうから喫煙ルームに行ってその薬を使うなんてテロ行為はしないとは思うよ。それを使うのは例えば今回みたいな、常識を知らない連中に痛い目に会ってもらう為だけじゃないかなぁ。そしてそれをテーブルの上に出して、とりあえず僕達の食事の邪魔をするような輩が居ないかを確認してたんだ。
んで、料理とお酒が運ばれてきて、さぁ食べようって乾杯した後にさ、店に入ってきやがったんだよ。あのおじさんが。一気に殺気立ったね。またタバコの煙を食らわそうものなら、こっちにも報復兵器があるってさ、ユキは煙管を掴んでいまにもスイッチを入れるような素振りを見せた。でも暫くはそのヘビースモーカーの様子を伺っていたんだ。
カウンターにどっかりと座ったそのおじさんは、店員となにやら話をしてるみたいだった。僕らはその話に耳を傾けていた。
「お久しぶりですね、その後、お体の具合はどうですか?」
「よくわからんのだよ、何が原因なのか」
そうそう、そりゃそうだ。
「お忘れ物ですよ」
多分、そのおじさんはあの救急車で運ばれた日から店に来てなかったみたいなんだ。店員が出したお忘れ物っていう奴は、タバコとライターだった。
「ああ、タバコ、止めたんですよ」
「そうなんですか。それは良いことですね」
「医者にも止めろと言われてですね」
「そういえば、最近、ご家族でいらっしゃらないじゃないですか」
この店員の言葉の後に何故か二人の間にしばらくの間、会話が無かったんだ。だから耳だけを傾けてた僕達は何が起きたのかとちょっと目をそちらにやった。そしたらおじさんが顔を手で覆ったのが見えた。そして、鼻水をすするような音が聞こえた。
「娘がね、死んだんですよ」
「え?!あんなに元気でいらしたのに」
「自殺です。もう半年ぐらい前なんですけどね」
おじさんは手で目の部分を覆って、鼻水をすすりながら涙声で言った。店員はおじさんの家族について詳しいのか、もうそれ以上はつっこんで聞かなかった。別の店員が彼が注文してたお酒を運んできて、静かにカウンターに置いた。それを一気に飲み干そうとするんだけど、それは出来なかった。それから二人は何かを話していたけども、僕等はそこに意識を集中する事はもうしなかった。